ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
祠廟信仰
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月18日 (日)
(祠廟から転送)
祠廟は前近代の中国において人物神を祀る神殿・祭壇をいう。天神地祇諸神を祀る壇廟と区別される。日本の霊社も参照。
目次 |
種別
厳密には廟と祠で区別があるという(北京古代建築文化大系)
- 廟:祭神が帝王であるか、帝王の称号を授与された人物の場合
- 祠:祭神が帝王以外の人物
特殊なもの
一覧
- 伍子胥(?-BC485):春秋時代の楚の人。伍子胥祠。
- 孔子(BC551-BC479):儒教の開祖。
- 孟子(BC372頃-BC289頃):戦国時代の思想家・儒学者。孔子の後継者を自認した。孟軻。
- 蒙恬(?-BC210):秦の武将。始皇帝に仕えた。万里の長城を築いた。2世皇帝の命で死を賜った。蒙公祠。
- 張良(BC251-BC186):秦末期から前漢初期の政治家・軍師。劉邦を助けた。張良廟。
- 范増(?-BC204):秦末の将軍。項羽に仕えた。項羽から亜父と呼ばれ重んじられたが、のち不和となり辞した。
- 項羽(BC232-BC202):秦末の武将。秦を滅ぼすが、劉邦と天下を争い敗れた。覇王祠。
- 劉章(BC200-BC177):前漢の皇族。劉邦の孫。城陽景王祠。
- 欒布(?-BC144):秦末~前漢の武将。欒公社。
- 石慶(?-BC103):前漢の官僚。石相祠。
- 霍光(?-BC68):前漢中期の文官。武帝の信任を受けて長年仕えた。昭帝を補佐し権勢を振るい、宣帝を擁立し、娘を皇后とした。宣帝に疎まれ、死後、霍光の一族は滅ぼされた。
- 于公(生没年不詳):前漢の官僚。公正な裁判を行ったという。于公祠
- 華佗(?-208):後漢末期の伝説的な医者。華祖庵。
- 曹操(155-220):後漢末期・三国時代の武将。魏の太祖。武皇帝。魏武祠。
- 劉備(161-223):蜀漢の初代皇帝。後漢末期・三国時代の武将。小説『三国志演義』の主人公。
- 関羽(162-219):後漢末期・三国時代の蜀漢の武将。張飛と共に劉備を支えた。のち中国を代表する武神として信仰されるようになる。
- 張飛(?-221):後漢末期・三国時代の武将。劉備の挙兵に関羽と共に従う。張公祠。
- 諸葛亮(181-234):後漢末期・三国時代の蜀漢の政治家・軍師。劉備を助けた。諸葛孔明。武侯祠。
- 徐庶(?-234?):後漢末期・三国時代の武将。最初、劉備に仕えるが、のち曹操に従う。徐公祠。徐庶廟。
- 姜維(202-262):三国時代の武将。姜公祠
- 王羲之(303-361):東晋の官僚・書家。書聖と称される。王右軍祠。
- 王献之(344-388):東晋の官僚・書家。王羲之の子。王羲之と共に二王と呼ばれる。王右軍祠に合祀。
- 智永(生没年不詳):南朝の僧侶・書家。王羲之の七世孫。王右軍祠に合祀。
- 陶淵明(365-427):六朝時代の東晋の文人。陶潜。陶公祠。
- 狄仁傑(630-700):唐代の則天武后時代の宰相。秋公祠。
- 李白(701-762):中唐の文人。玄宗皇帝時代に一時仕官したが、ほとんどは放浪生活を送った。詩聖杜甫に対して詩仙と呼ばれる。太白祠。李白墓。
- 張巡(709-757):唐代の武将。安史の乱を武功を挙げ出世。許遠と共にスイ陽を守るが敗死。
- 許遠(709-757):唐代の文官。スイ陽の太守となる。張巡と共にスイ陽を守るが敗死。
- 顔真卿(709-785):中唐の官僚・書家。安史の乱の平定に活躍。蔡州龍興寺で暗殺された。顔平原。顔魯公。顔魯公。顔魯公祠。
- 杜甫(712-770):中唐の詩人。詩仙李白に対して詩聖と称される。杜公祠。杜甫草堂。
- 韓愈(768-824):中唐の官僚・文人。文体改革を提唱。唐宋八家の一人。儒教を重視し、道教仏教を論難した。韓文公祠。
- 白居易(772-846):中唐の官僚・文人。白楽天。白公祠。
- 柳宗元(773-819):中唐の官僚・文人。韓愈と古文運動を起こした。唐宋八家の一人。柳侯祠(羅池廟)。
- 包拯(999-1062):北宋の文官。名裁きを行ったという。包公。
- 欧陽脩(1007-1072):北宋の官僚・文人。唐宋八家の一人。四賢祠に祀られる。
- 蘇洵(1009-1066):北宋の官僚・文人。蘇軾・蘇轍の父。唐宋八家の一人。父子で三蘇祠に祀られる。
- 曽鞏(1019-1083):北宋の官僚・文人。唐宋八家の一人。南豊祠。
- 司馬光(1019-1086):北宋の政治家・歴史家。宰相。王安石の新法改革に反対。『資治通鑑』を編纂。司馬温公。司馬温公祠。司馬光墓。
- 王安石(1021-1086):北宋の官僚・文人。首席宰相。新法改革を行う。唐宋八家の一人。一時、孔子廟に合祀された。王安石墓。荊公祠。
- 蘇軾(1037-1101):北宋の官僚・文人・書家。唐宋八家の一人。蘇東坡。蘇公祠。父子で三蘇祠に祀られる。
- 蘇轍(1039-1112):北宋の官僚・文人。唐宋八家の一人。父子で三蘇祠に祀られる。
- 岳飛(1103-1141):南宋の武将。
- 鉄鉉(1366-1402):明の官僚。靖難の変で建文帝を支持し政府軍を指揮。反乱軍が勝利後、永楽帝に処刑された。鉄公祠。
- 曹頂(1514-1557):明朝の武将。倭寇の侵攻に対抗した。曹公祠。
- 楊継盛(1516-1555):明朝の文官。不屈の精神で何度も諫言した結果、投獄。拷問であらゆる苦しみを味わったが、それに耐えたという。隆慶帝の即位の後に名誉回復された。旧邸が祠となり楊椒山祠となった。
- 戚継光(?-1587):明の武将。1550年代の倭寇の侵入を鎮圧した。戚公祠。
- 史可法(?-1645):明末の忠臣。弘光帝を擁立し、揚州で清軍を迎え撃つ。降伏勧告を敢然と拒否し、捕縛され処刑された。史公祠。
- 施琅(1621-1696):清の武将。かつての上司の鄭芝龍の子である鄭成功が反清を掲げると一時従ったこともあるが、清に戻った。台湾侵攻を指揮し、1668年、鄭政権を滅ぼした。施公祠。
- 袁崇煥(1584-1630):明の武将。後金軍の侵攻を何度も退けたが、謀反の疑いで処刑された。袁崇煥祠(墓所)、袁崇煥廟。
- 鄭成功(1624-1662):明末の武将・政治家。母は日本人で、平戸で生まれた。清朝の攻略に挙兵。明の滅亡後も台湾でオランダ支配を排除して政権を築き、反清復明を掲げて抵抗した。台湾開発の祖とされる。国姓爺。
- センゲリンチン(僧格林沁)(1811-1865):北京市東城区寛街。清末のモンゴル族の武将。太平天国の乱の鎮圧に功績。親王に封じられる。アロー戦争で英仏連合軍を撃退するが、その後の戦闘で戦死した。太廟に合祀された後、北京のセンゲリンチン祠など各地に祠が建てられた。
- 李鴻章(1823-1901):清末期の官僚。洋務運動を推進。日清戦争の講和条約の全権大使を務めた。李公祠。
- 江召棠(1849-1906):江公祠。
- 張夏():相公
- 朱六郎():相公
- 李禄():
- 陸載():
- 米〓():米公祠
- 昭忠祠
- 郷賢祠
- 睿忠親王祠:ドルゴン
- 定南武壮王祠:孔有徳
- 宏毅公祠:額亦都。
- 恪僖公祠:バブタイ(巴布泰)
- 勤襄公祠:方維甸
- 左文襄公祠:左宗棠
- 旌勇祠:明瑞
- 先医廟
- 双忠祠
- 奨忠祠
- 褒忠祠
資料
- 宮川尚志1938「項羽神の研究」[1]
- 宮川尚志1939「水経注に見えたる祠廟」[2]
- 井上以智為1941「関羽祠廟の由来並に変遷」[3]
- 小川貰弌1971「浮屠祠と祠堂」[4]
- 岡田栄照1979「台湾の寺廟について」[5]
- 闕銘崇・田中禎彦・布野修司1999「台北市の「寺廟」,「神壇」の建築類型とその分布に関する考察」[6]
- 小島毅1991「正祠と淫祠:福建の地方志における記述と論理」[7]
- 須江隆1999『唐宋時代の祠廟制の研究』[8]
- 井上徹2002「魏校の淫祠破壊令」[9]
- 水越知2002「宋代社会と祠廟信仰の展開―地域核としての祠廟の出現」[10]
- 水越知2005「元代の祠廟祭祀と地域社会―三皇廟と賜額賜号」[11]
- 水越知2006「宋元時代の祠廟信仰の変容と秩序形成」[12]
- 水越知2006「伍子胥信仰と江南地域社会―信仰圏の構造分析」『宋代社会の空間とコミュニケーション』
- 水越知2010「忠臣、海を渡る―日中における文天祥崇拝」『アジア遊学』132
- 水越知2015「清代後期における重慶府巴県の寺廟と地方社会―『巴県档案』寺廟関係档案の基礎的考察」[13]
- 飯山知保2003「金元代華北における州県祠廟祭祀からみた地方官の系譜:山西平遥県応潤侯廟を中心に」[14]
- 松本浩一2004「宋代を中心としてみた都市の祠廟の変遷」[15]
- 須江隆2005「祠廟の記録に見える近世中国の「鎮」社会」[16]
- 二階堂善弘2006『道教・民間信仰における元帥神の変容』[17]
- 二階堂善弘2007「祠山張大帝考:伽藍神としての張大帝」[18]
- 二階堂善弘2012「華光大帝の変容」[19]
- 二階堂善弘2016「温州の廟と祭神について」[20]
- 鈴木博之2007「南京神廟の成立:明初の祠廟政策」[21]
- 張葉茜・杉野丞・沢田多喜二・曹毅2017「中国・徽州地方の宗祠建築の研究」[22]
- 張葉茜・杉野丞・沢田多喜二2017「中国・徽州地方の祠堂建築に関する研究」[23]
- 関口順2012「礼としての神祇祭祀の考察」[24]
- 梅村尚樹2015「宋代学校研究:地域社会における儀礼・祭祀空間としての視点から」[25]
- 王燕萍2020「宋代における祠廟信仰に関する研究の現状と課題」[26]