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仁徳天皇旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
仁徳天皇旧跡
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<googlemap version="0.9" lat="34.743147" lon="135.521271" type="map" zoom="16" controls="large"> 35.032609, 135.731946, 平野神社 , 35.003462, 135.873923, 平野神社 , 31.737137, 131.09668, 早水神社 , 34.892068, 135.811439, 宇治上神社 , 34.668915, 135.513887, 高津宮 , 34.678695, 135.500102, 難波神社 , 34.781231, 135.733634, 朱智神社 , 34.687353, 135.525855, 大阪城 , 34.956895, 135.658897, 樫本神社 34.822908, 135.422111, 呉服神社 , 34.830238, 135.425224, 伊居太神社 , 35.13683, 136.134544, 沙沙貴神社 , 34.669452, 135.524783, 大阪府立高津高校 , 34.668221, 135.521703, 日本 </googlemap> {|class="wikitable" |+ ! !名称 !所在地 !国郡 !style="width:25%" |概要 !style="width:10%" |社格など |- |旧跡 |[[宇治上神社]] |京都府宇治市宇治山田1 |山城国宇治郡 |菟道稚郎子の旧跡。仁徳天皇旧跡。菟道稚郎子はこの地で自害し、仁徳天皇に皇位を譲った。宇治上神社には仁徳天皇も合祀されている。 |式内社・村社 |- |高津宮 |高津宮跡地(大阪城) |大阪府大阪市中央区大阪城1?1 |摂津国西成郡 |難波高津宮旧跡伝承地。ここに皇宮があったとされる。高津宮はこの宮跡に建てられていたが、大阪城築城により、現在地に遷座したとされている。 | |- |高津宮 |高津宮跡碑 |大阪府大阪市天王寺区餌差町10-47 |摂津国西成郡 |難波高津宮旧跡考証地。1899年(明治32年)11月3日、大阪府が仁徳天皇1500年祭を高津宮と難波神社で行った際に「高津宮址」碑を建立した。1903年(明治36年)4月、高津宮に寄付されて高津宮の境外所有地に編入された。1950年(昭和25年)区画整備のため、40メートルほど北東に移転した。(『大阪府全志』、大阪府立高津高等学校ウェブサイト) | |- |高津宮 |[[高津宮]] |大阪府大阪市中央区高津1-1-29 |摂津国西成郡 |難波高津宮の旧跡に関連する神社。もともと難波高津宮の旧跡とされる現在の大阪城の辺りに鎮座していたが、大阪城築城による現在地へ遷座した。仁徳天皇ほか応神天皇・仲哀天皇・履中天皇などを祀る。 |府社・別表神社 |- |高津宮 |東高津宮 |大阪府大阪市天王寺区東高津町4-8 |摂津国西成郡 |難波高津宮の旧跡に関連する神社。祭神は、「仁徳天皇・磐之媛命」である。かつては「仁徳天皇社」と呼ばれていたらしい。村社。元高津ともいう。(『大阪府全志』) |村社 |- |高津宮 |北高津宮 (合祀) |大阪府大阪市天王寺区餌差町 |摂津国西成郡 |難波高津宮の旧跡に関連する神社。1907年(明治40年)12月9日、高津宮に合祀。祭神は「仁徳天皇」であった。 |村社 |- |高津宮 |新高津宮(合祀) |大阪府大阪市中央区 |摂津国西成郡 |難波高津宮の旧跡に関連する神社。1907年(明治40年)11月28日に大正区八阪神社に合祀。祭神は「仁徳天皇」であった。(『大阪府全志』) |村社 |- |筒城宮 |[[朱智神社]] |京都府京田辺市天王高ケ峰25 |山城国綴喜郡 |筒城宮旧跡にある神社。筒城宮は皇后磐之媛の行在所。仁徳天皇も行幸。昭和前期、三宅安兵衛によって朱智神社がその跡地とされて石碑が建立された。 |郷社 |- |陵墓 |[[仁徳天皇陵|仁徳天皇陵 大仙伝承地]] |大阪府堺市堺区大仙町 |和泉国大鳥郡 |仁徳天皇陵の伝承地。大仙古墳。 |天皇陵 |- |霊廟 |[[宮中三殿]] 皇霊殿 |東京都千代田区千代田 | |宮中三殿の一殿。歴代天皇皇族を祀る神殿。 | |- | |[[平野神社]] |京都府京都市北区平野宮本町1 |山城国葛野郡 |仁徳天皇祭神説があった神社。皇太子の守護神。土師氏と和氏の氏神を合祀する神社と考えられているが、なぜか中世から近世までは仁徳天皇を祭神とする説が広まっていた。 |式内社・名神大社・二十二社・官幣大社・別表神社 |- | |[[樫本神社]] |京都市西京区大原野南春日町 |山城国乙訓郡 |仁徳天皇を祀る神社。一説には、長岡京遷都のときに大和から遷座してきた平野神社が一時的に祭られた場所という。 |村社 |- | |[[大津平野神社]] |滋賀県大津市松本1丁目8-25 |近江国滋賀郡 |仁徳天皇を祀る神社。668年(天智7年)、大津京の守護神として仁徳天皇を祭って藤原鎌足によって創建されたという。蹴鞠の守護神である精大明神(猿田彦)を1573年(天正1年)に合祀したという。西洞院家が管領したというが、京都平野神社も西洞院が伝奏であった。(『滋賀県神社誌』) | |- | |[[沙沙貴神社]] |滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1 |近江国蒲生郡 |仁徳天皇を祀る神社。仁徳天皇の御名代であった雀部氏が仁徳天皇を祀ったとされる。佐々木源氏の氏神。 |式内社・県社 |- | |[[難波神社]] |大阪府大阪市中央区博労町4丁目1-3 |摂津国西成郡 |仁徳天皇を祀る神社。反正天皇多治比柴垣宮の遷都に際して創建された。のち摂津国平野郷に遷座し、大阪城の築城に際して現在地に遷座したという。平野大明神と称していた。(『大阪府全志』、『大阪府史蹟名勝天然紀念物』) |府社 |- | |難波神社 行宮 |大阪府大阪市中央区南堀江 |摂津国西成郡 |難波神社の行宮。祭神は、「仁徳天皇・五十狭命」である。もと神田にあったが1699年(元禄12年)1月に、区画整備のため現在地に替地となった。1907年(明治40年)1月24日、境外末社となる。同年8月19日、無格社堀江神社(五十狭命)を合祀した。(『大阪府全志』) | |- | |呉服神社 |大阪府池田市室町7-4 |摂津国豊島郡 |仁徳天皇を祀る神社。呉服大明神と仁徳天皇を祀る。応神天皇代に渡来した織女を祀った神社である。 |郷社 |- | |穴織宮伊居太神社 |大阪府池田市綾羽2-4-5 |摂津国豊島郡 |仁徳天皇を祀る神社。穴織大明神と応神天皇、仁徳天皇を祀る。式内「伊居太神社」の論社。 |郷社 |- | |早水神社 |宮崎県都城市早水町 |日向国諸県郡 |仁徳天皇妃の髪長媛の生誕地にある神社。「応神天皇、髪長媛、諸県君牛諸井」を祀る(宮崎県史蹟調査)。仁徳天皇を祀る説があるが誤りか。村社。近くの乙戸神社は髪長媛の弟を祀る。 |村社 |}
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