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歓喜光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
歓喜光寺
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'''歓喜光寺'''(かんきこうじ)は、京都府京都市山科区大宅奥山田にある[[時宗]]寺院。かつての[[時宗六条派]]の拠点寺院。'''聖戒'''が山城八幡に「'''善導寺'''」として創建。[[八幡信仰]]ゆかりの寺院。現在の東本願寺枳殻邸のあたりに移り、のち寺町に遷った。[[錦天満宮]]を鎮守とした。'''河原院'''。'''六条道場'''。山号は紫苔山。(参考:同名寺院[[歓喜寺]]・[[善導寺_(同名)]]) == 歴史 == 聖戒は一遍の弟で、一遍の廻国遊行に同行した。 一遍が石清水八幡宮に参詣したとき、神託を得た。 1291年、その縁で聖戒は石清水八幡宮の近くに 善導寺を創建。 1299年、関白九条忠教の寄進で河原院跡地に移転。 その地にあった天満宮の神宮寺であった歓喜寺を合併して 歓喜光寺と称したという。 のち六条堀川の東南に移転。中昔京師地図に描かれる。このころ、六条道場の呼称が定まったとみられる。 六条風呂が名物だった。 1379年焼失 1419年焼失 1428年焼失 1434年焼失 1436年焼失 1437年9月6日、将軍足利義教が参詣 1490年焼失 1552年頃、高辻烏丸に移転。 六条東洞院にも寺地があり、そこで刑死者に十念を授けていたという。 天正年間、京極錦小路に移転。 1676年、清浄光寺末寺となる。 1872年、錦天満宮を分離 1907年、東山五条に移転。法国寺を吸収。 1975年、山科の現在地に移転。 (『日本歴史地名大系』) ==組織== === 歴代住職 === *1[[聖戒]](1261-1323)<1299-1323>:一遍の弟。甥という説もある。越智氏。河野通定。六条派の祖とみなされる。鳥辺山の草庵で死去。『一遍聖絵』を編纂。伝記『開山弥阿上人行状』。弥阿。 *2一色 *3瑞光 *4正道 *5心静 *6徳山 *7住定 *8常然 *9浄安 *10成厳 *11如山 *12安住 *13常清 *14善念 *15上善 *16了幻 *20文閑:連歌師として活躍。 *21 *22仙厳:連歌師として活躍。 == 子院 == *満願寺 *覚恩寺 *金台寺 *与願寺 *行福寺 *安念寺 *清浄心院 *長寿院 *芳泉院 *端月院 *玉林院 *正面庵 *道照庵 (日本歴史地名大系) ==参考文献== *大橋俊雄『一遍と時宗教団』 [[Category:京都府]]
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