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懐良親王墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
懐良親王墓
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[[ファイル:懐良親王墓-18.jpg|thumb|500px| ]] '''懐良親王墓'''は、熊本県八代市妙見町(肥後国八代郡)にある[[懐良親王]]の墓。墓所の脇の「勅使坂」を登ると菩提寺の[[肥後・悟真寺]]がある。近隣には[[八代神社中宮]]や、父母を供養した[[御小袖塚]]がある。 1916年(大正5年)に中宮跡から偶然発掘された懐良親王の宝篋印塔が奉安されている(八代市指定文化財「懐良親王御自筆銘の宝篋印塔」)。八代市史跡「征西大将軍の宮懐良親王御墓」。 ==歴史== ([[八代宮#歴史]]も参照) *1383年(弘和3年/永徳3年)3月27日:懐良親王、死去。 *1873年(明治6年)8月7日:<政府、懐良親王を祀る[[宮陣神社]]の創立を許可> *1873年(明治6年)9月:松岡廉平、「宮の御所考」を記す。 *1873年(明治6年)9月:熊本県庁地理図誌調方の八代藩士の平子貞高、磯田正敬、佐伯専和が「征西将軍宮懐良親王御墓所考」を熊本県庁に提出するも決定打にならず。調方を熊本藩士の上野堅吾、小山多乎理、魚住勤、久米清淵に交替。 *1876年(明治9年)9月20日:[[教部省]]の六村中彦、桜井成能、両親王墓所の調査に熊本県を訪問。24日、八代を訪問し、上宮山、悟真寺、医王寺などの伝承地を巡検し、悟真寺のものと考査したという。 *1878年(明治11年)1月:久米清淵、「征西大将軍懐良親王御墓再々考」(執筆は前年12月)提出。2月5日、熊本県から内務省に提出。 *1878年(明治11年)4月25日:懐良親王墓を治定。[[良成親王墓]]を治定。 *1880年(明治13年)8月3日:<[[八代宮]]創建を命じる。[[官幣中社]]列格。> *1884年(明治17年)4月20日:<八代宮鎮座祭。> *1916年(大正5年):親王墓近く([[八代神社中宮|妙見中宮]]跡?)から親王が母30年忌に建立した「天授第七辛酉」(1381年(弘和1年/永徳1年))の銘の宝篋印塔が出土(1917年(大正6年)12月とも)。「天授第七辛酉歳為霊照院禅定尼出離生死仏果円満也乃至法界有情蒙平等利益矣」「願主天心叟 彫巧禅秀比丘」とある。 *1919年(大正8年)8月:宝篋印塔、宮内省が修理して墓地内に移建。 *昭和38年4月20日:市史跡 ==画像== <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> File:八代宮・懐良親王墓・天皇及偉人を祀れる神社.jpg| file:懐良親王墓-01.jpg| file:懐良親王墓-02.jpg| file:懐良親王墓-03.jpg| file:懐良親王墓-04.jpg| file:懐良親王墓-05.jpg| file:懐良親王墓-06.jpg| file:懐良親王墓-07.jpg| file:懐良親王墓-08.jpg| file:懐良親王墓-09.jpg| file:懐良親王墓-10.jpg| file:懐良親王墓-11.jpg| file:懐良親王墓-12.jpg| file:懐良親王墓-13.jpg| file:懐良親王墓-14.jpg| file:懐良親王墓-15.jpg| file:懐良親王墓-16.jpg| file:懐良親王墓-17.jpg| file:懐良親王墓-18.jpg| file:懐良親王墓-19.jpg| file:懐良親王墓-20.jpg| file:懐良親王墓-21.jpg| file:懐良親王墓-22.jpg| file:懐良親王墓-23.jpg| file:懐良親王墓-24.jpg| file:懐良親王墓-25.jpg| file:懐良親王墓-26.jpg| </Gallery> ==資料== ([[八代宮#資料]]も参照) *1927『八代郡誌』「懐良親王御墓」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1195134/1/230] *1927『八代郡誌』「悟真寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1195134/1/320] [[category:熊本県]]
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