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歓喜光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*1[[聖戒]](1261-1323)<1299-1323>:一遍の弟。甥という説もある。越智氏。河野通定。六条派の祖とみなされる。鳥辺山の草庵で死去。『一遍聖絵』を編纂。伝記『開山弥阿上人行状』。弥阿。 | *1[[聖戒]](1261-1323)<1299-1323>:一遍の弟。甥という説もある。越智氏。河野通定。六条派の祖とみなされる。鳥辺山の草庵で死去。『一遍聖絵』を編纂。伝記『開山弥阿上人行状』。弥阿。 | ||
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2021年8月8日 (日) 時点における版
歓喜光寺(かんきこうじ)は、京都府京都市山科区大宅奥山田にある時宗寺院。かつての時宗六条派の拠点寺院。現在の本尊は阿弥陀如来だが、江戸時代の本尊は十一面観音であった。聖戒が山城八幡に善導寺として創建。八幡信仰・天満信仰ゆかりの寺院。現在の真宗本廟枳殻邸のあたりに移り、のち寺町に遷った。錦天満宮を鎮守とした。河原院。六条道場。山号は紫苔山。(参考:同名寺院歓喜寺・善導寺_(同名))
目次 |
歴史
聖戒は一遍の弟で、一遍の廻国遊行に同行した。一遍が石清水八幡宮に参詣したとき、神託を得た。 1291年(正応4年)、その縁で聖戒は石清水八幡宮の近くに善導寺を創建。 1299年(正安1年)、関白九条忠教の寄進で善導寺を河原院跡地に移転。 この時、同時に菅原院(菅原道真邸)跡から天満宮とその神宮寺であった歓喜寺を移転、合併して歓喜光寺と称したという。あるいは先に歓喜寺と天満宮が河原院の地に移転していたともいう。 江戸時代の記録で本尊とされる十一面観音は一般に天満宮の本地仏とされる。神宮寺としての性格が強かったか。
のち六条堀川の東南に移転。中昔京師地図に描かれる。このころ、六条道場の呼称が定まったとみられる。 六条風呂が名物だった。歌人が集まり、連歌会がたびたび開かれた。
1379年(天授5年/康暦1年)焼失。1419年(応永26年)焼失。1428年(正長1年)焼失。1434年(永享6年)焼失。1436年(永享8年)焼失。1437年(永享9年)9月6日、将軍足利義教が参詣。1490年(延徳2年)焼失。
1552年(天文21年)頃、高辻烏丸に移転。 六条東洞院にも寺地があり、そこで刑死者に十念を授けていたという。
天正年間、京極錦小路に移転。 1652年(承応1年)焼失。 1676年(延宝4年)、清浄光寺末寺となり、遊行派となる。この時点で六条派としての実態は失われていたと思われる。 1788年(天明8年)焼失。1864年(元治1年)焼失。 1872年(明治5年)、神仏分離で錦天満宮を分離。 1907年(明治40年)5月15日、東山五条の法国寺に移転し、同寺を併合した。錦天満宮は旧地に残った。 1975年(昭和50年)、山科の現在地に移転。
(『日本歴史地名大系』)
組織
- 歴代住職が「弥阿」を名乗った。
歴代住職
- 1聖戒(1261-1323)<1299-1323>:一遍の弟。甥という説もある。越智氏。河野通定。六条派の祖とみなされる。鳥辺山の草庵で死去。『一遍聖絵』を編纂。伝記『開山弥阿上人行状』。弥阿。
- 2一色()<>:
- 3瑞光()<>:『開山弥阿上人行状』を記す。
- 4正道()<>:
- 5心静()<>:
- 6徳山()<>:
- 7住定()<>:
- 8常然()<>:
- 9浄安()<>:
- 10成厳()<>:
- 11如山()<>:
- 12安住()<>:
- 13常清()<>:
- 14善念()<>:
- 15上善()<>:
- 16了幻()<>:
- 17観空()<>:
- 18
- 19
- 20文閑()<>:中興。連歌師として活躍。
- 21
- 22仙厳()<>:連歌師として活躍。
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27超眼()<>:
- 28
- 29
- 30輪山()<>:
- 31智寛()<>:寛政7年在職。
- 32
- 33
- 34良随()<>:
- 35
- 36
- 37河野良心()<>:時宗執事長。一蓮寺64世。龍華院。法阿。
子院
江戸時代には以下の子院があった。
- 満願寺:
- 覚恩寺:
- 金台寺:
- 与願寺:
- 行福寺:
- 安念寺:鳥辺野にあった聖戒の隠居地か。
- 清浄心院:
- 長寿院:
- 芳泉院:
- 端月院:
- 玉林院:
- 正面庵:
- 道照庵:
(日本歴史地名大系)
参考文献
- 大橋俊雄『一遍と時宗教団』