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播磨・柿本神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*飛鳥時代:柿本人麻呂、「天ざかる、夷の長道ゆ、恋ひ来れば明石の門より、倭島見ゆ」と詠む(万葉集) | *飛鳥時代:柿本人麻呂、「天ざかる、夷の長道ゆ、恋ひ来れば明石の門より、倭島見ゆ」と詠む(万葉集) | ||
*仁和年間:楊柳寺(月照寺)の覚証が霊夢を得て、柿本人麻呂の霊が明石に留まったと感得し、寺の後ろに祠を祀ったのが始まりという。 | *仁和年間:楊柳寺(月照寺)の覚証が霊夢を得て、柿本人麻呂の霊が明石に留まったと感得し、寺の後ろに祠を祀ったのが始まりという。 | ||
| - | * | + | *1332年(元弘2年/正慶1年)3月7日:配所の隠岐に向かう[[後醍醐天皇]]は山陽道の大蔵谷を通ったが近くに「人丸の塚」があったという(増鏡)。 |
| - | * | + | *1476年(文明8年):大和[[柿本寺]]の人丸堂修復の勧進のための文書に明石浦に人麻呂墓所があったとの記述がある。 |
| - | * | + | *1618年(元和4年):小笠原忠真が築城の際、寺と共に現在地に遷座。 |
| - | * | + | *1723年(享保8年):柿本人麻呂1000年祭にあたり天皇は「正一位柿本大明神」の神位神号を宣下。 |
| + | *1723年(享保8年)2月1日:正一位柿本大明神の女房奉書を明石柿本神社に奉納([[石見・柿本神社]]にも)。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2990113/228] | ||
| + | *1723年(享保8年)3月18日:1000年祭に勅使烏丸光広が参向。正一位准称の勅命を伝えた。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2990113/228] | ||
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| + | 社領40石があった。 | ||
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==境内== | ==境内== | ||
[[file:明石柿本神社-11.jpg|播州明石浦柿本大夫祠堂碑|thumb|400px]] | [[file:明石柿本神社-11.jpg|播州明石浦柿本大夫祠堂碑|thumb|400px]] | ||
2022年12月3日 (土) 時点における版
柿本神社(かきもと・じんじゃ)は、兵庫県明石市人丸町(播磨国明石郡)にある柿本信仰の神社。曹洞宗の播磨・月照寺に隣接。県社。
- 飛鳥時代:柿本人麻呂、「天ざかる、夷の長道ゆ、恋ひ来れば明石の門より、倭島見ゆ」と詠む(万葉集)
- 仁和年間:楊柳寺(月照寺)の覚証が霊夢を得て、柿本人麻呂の霊が明石に留まったと感得し、寺の後ろに祠を祀ったのが始まりという。
- 1332年(元弘2年/正慶1年)3月7日:配所の隠岐に向かう後醍醐天皇は山陽道の大蔵谷を通ったが近くに「人丸の塚」があったという(増鏡)。
- 1476年(文明8年):大和柿本寺の人丸堂修復の勧進のための文書に明石浦に人麻呂墓所があったとの記述がある。
- 1618年(元和4年):小笠原忠真が築城の際、寺と共に現在地に遷座。
- 1723年(享保8年):柿本人麻呂1000年祭にあたり天皇は「正一位柿本大明神」の神位神号を宣下。
- 1723年(享保8年)2月1日:正一位柿本大明神の女房奉書を明石柿本神社に奉納(石見・柿本神社にも)。[1]
- 1723年(享保8年)3月18日:1000年祭に勅使烏丸光広が参向。正一位准称の勅命を伝えた。[2]
社領40石があった。
境内
- 本社
- 五社稲荷神社
- 天神社
- 三宝荒神社
- 播州明石浦柿本大夫祠堂碑:明石藩主松平忠国が建立。亀趺。
- 人丸塚:兵庫県明石市明石公園。明石城跡内にある。柿本神社の旧地。