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下京・文子天満宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年6月21日 (金)
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| + | 『坊目誌』では慶長以後の勧請と推測する。慶長年間に[[東本願寺]]宣如が崇敬したという伝承がある。 | ||
| + | 1788年(天明8年)、1858年(安政5年)、1864年(元治1年)の大火で焼失。1918年(大正7年)現在の本殿を造営。 | ||
| + | 境内に老松社、福部社、火之御子社、白太夫社、白滝稲荷神社、北野天満宮遥拝所、菅原道真腰掛石、文子殿がある。 | ||
| + | (日本歴史地名大系、境内由緒書) | ||
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file:1FF902E3-508E-4A83-B3BE-464964D6D360.jpeg|文子殿 | file:1FF902E3-508E-4A83-B3BE-464964D6D360.jpeg|文子殿 | ||
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2024年6月21日 (金) 時点における最新版
文子天満宮(あやこ・てんまんぐう)は京都府京都市下京区天神町にある天満宮。祭神は菅原道真。菅原道真京都影向旧跡。村社。東本願寺寺内町に位置する。
創建不詳。菅原道真の託宣を受けた文子は自宅に祠を建てたというが、一般的にはその場所は西京七条(綱敷行衛天満宮のあたりか)とされ、この地とは異なる。 『坊目誌』では慶長以後の勧請と推測する。慶長年間に東本願寺宣如が崇敬したという伝承がある。 1788年(天明8年)、1858年(安政5年)、1864年(元治1年)の大火で焼失。1918年(大正7年)現在の本殿を造営。 境内に老松社、福部社、火之御子社、白太夫社、白滝稲荷神社、北野天満宮遥拝所、菅原道真腰掛石、文子殿がある。 (日本歴史地名大系、境内由緒書)