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東御回り旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''東御廻り'''(あがりうまーい)の旧跡は、[[第二尚氏]]の歴代国王が[[聞得大君]]と共に隔年で巡拝した聖地。1673年から代拝となった。[[琉球王朝の国家祭祀]]も参照。東世御廻りとも。
'''東御廻り'''(あがりうまーい)の旧跡は、[[第二尚氏]]の歴代国王が[[聞得大君]]と共に隔年で巡拝した聖地。1673年から代拝となった。[[琉球王朝の国家祭祀]]も参照。東世御廻りとも。
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琉球国由来記などには「東御廻り」という言葉は登場しない。
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東御廻りという言葉は登場しない。
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== 一覧 ==
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『沖縄の聖地―拝所と御願』より
『沖縄の聖地―拝所と御願』より
*1[[園比屋武御嶽]]:沖縄県那覇市首里金城町。[[首里城]]内。
*1[[園比屋武御嶽]]:沖縄県那覇市首里金城町。[[首里城]]内。

2024年12月14日 (土) 時点における版

東御廻り(あがりうまーい)の旧跡は、第二尚氏の歴代国王が聞得大君と共に隔年で巡拝した聖地。1673年から代拝となった。琉球王朝の国家祭祀も参照。東世御廻りとも。

東御廻・国土地理院地図1.jpg

琉球国由来記などには「東御廻り」という言葉は登場しない。

目次

一覧

東御廻・国土地理院地図2.jpg

『沖縄の聖地―拝所と御願』より

  • 1園比屋武御嶽:沖縄県那覇市首里金城町。首里城内。
  • 2与那原親川:沖縄県島尻郡与那原町与那原。御殿山から近い。天女が出産の時に産湯に使った聖なる井戸の跡に祠がある。与那原親井とも。
  • 3御殿山:沖縄県島尻郡与那原町与那原。首里の御殿に納める用木を保管したことから御殿山と呼ばれたという。
  • 4イビの森:沖縄県南城市佐敷新里。1960年、前年の台風で被災した場天御嶽、上場天御井戸、下場天御井戸、御天竺神、伊平屋神を合祀。「イビヌ森」とも。
  • 5上城之嶽:沖縄県南城市佐敷佐敷。佐敷上グスク内。
  • 6テダ御川:沖縄県南城市知念知名。ティダ御井とも。
  • 7斎場御嶽:沖縄県南城市知念久手堅。琉球開闢九御嶽の一つ。
  • 8知念森:沖縄県南城市知念。知念グスク内。琉球開闢九御嶽の一つ。
  • 9知念大川:沖縄県南城市知念。知念大井とも。
  • 10ミントングスク:沖縄県南城市玉城仲村渠。
  • 11仲村渠樋川:沖縄県南城市玉城仲村渠。
  • 12アイハンタ嶽:沖縄県南城市玉城。
  • 13藪薩御嶽:沖縄県南城市玉城。琉球開闢九御嶽の一つ。
  • 14ヤハラヅカサ:沖縄県南城市玉城百名。
  • 15潮花司:沖縄県南城市玉城。
  • 16浜川御嶽:沖縄県南城市玉城百名。浜井御嶽とも。
  • 17受水走水:沖縄県南城市玉城百名。
  • 18雨粒天次御嶽:沖縄県南城市玉城の玉城グスクにある。琉球開闢九御嶽の一つ。
  • 19玉城ノロ殿内
  • 20志堅原仁川

資料

古典籍

東御廻りの原型となったともいわれる4月の知念及玉城行幸に関する記述

  • 『琉球国由来記』「巻1王城之公事」の4月「行幸於知念及玉城」[1]に「自古、四月、稲ノミシキヨマノ時、隔年一次、行幸于知念及玉城、有御祭礼也。(聞得大君・司雲上・按司、御召列也)由来、見久高行幸之記。(隔年一次、五月祭之時、知念行幸、有御祭礼也。御規式四月行幸同。詳見王府御双紙也)尚貞王御宇、至康煕十二年癸丑、改而遣当役、有御祭礼也。所祭奠之品物、見当職御双紙。」とある。
  • 『琉球国旧記』「巻3公事」の4月「四月行幸於知念玉城」[2]に「自古、四月、稲米初熟時、隔年一次、王親率聞得大君加那志・司雲上・按司。行幸於知念・玉城。以祭諸嶽。(詳幸乎久高故事)康煕十二癸丑。尚貞王。改遣当官。以行祭礼也。」とある。
  • 『琉球国旧記』「巻6島尻・中頭・国頭」の「種稲田地」[3]に「隔年一次。四月稲初熟時。国王親率聞得大君加那志・司雲上・按司。行幸浜川屋原司・潮花司・浜川浮溝通水。而撫焉。又幸愛畔嶽・屋部册嶽・雨粒天次。終幸玉城。恭備品物。以為祭礼。」
  • 『琉球国由来記』「巻13各処祭祀」の「玉城間切」の「雨粒天次」[4]に「隔年一次、四月、稲ノミシキヨマノ時、当職御使ニテ、御祝物、上同。」とある。「浜川」(ヤハラヅカサ潮バナツカサノ御イベ)と「浜川ウケミゾハリ水」(ホリスマスミカキ君ガ御水御イベ)も「右二ケ所、公朝御祈願、御祝物、雨粒天次二同。」とある。「アイハンタ嶽」にも「右、隔年一次、当職御使ニテ有祈願」とある。
  • 『琉球国由来記』「巻13各処祭祀」の「玉城間切」の末尾[5]には「隔年一次、四月稲ミシキヨマノ時、聖上行幸。聞得大君加那志・司雲上・按司、御召列也。惣地頭・脇地頭衆、間切位衆・〓理、間切境御迎、立御拝四、御先備也。聖上、浜川ヤハラ司・潮花司・浜川ウケミゾハリ水ノ御水御撫、アイハンタ御嶽・ヤブサツノ御嶽・雨粒天次、御参詣。御威部前、御合掌。供奉之人員、同立御拝也。祀終、如玉城行幸也。御祝物、知念間切、斎場御嶽同。稲ミシキヨマノ時、玉城御行幸之由来者、上古、阿摩美久、ギライカナイヨリ、稲種子持来、玉城間切、百名村之人、作ヤウ教ウケ、溝・小マシ田・苗代拵、稲蒔、百日成時苗取、浜川ウラ原親田、高マシノマシカマノ田ニ、稲植初也。其故、教ラレシ人ヲ、阿摩美久ヨリ、名ヲ米之子ト給タル由、伝来也。依之行幸之時、彼田之稲穂、菜、献上、御戴也。物タマガリ之事。昔者、毎年、稲ノミシキヨマノ日ヨリ、五月、稲之穂祭日マデハ、諸座御用之雑物之類、夫使マデモ、御免許ニテ、稲之穂祭之日ニ、サミナノ御捧トテ、干蜷・干魚、献上。次日ヨリ、諸事御用、相勤タル由也」(〓は「言及」)とある。

文献

東御廻りに関するまとまった研究は存在しないようである。

  • 新城徳祐1971『東御廻の拝所旧跡』郷土の文化を守る会
  • 新垣孫一「東御廻について」郷土の文化を守る会
  • 翁姓門中会『翁姓門中東御廻についての史料』
  • 沖縄県教育庁文化課編1995『東御廻り等関連拝所総合調査1』沖縄県教育委員会
  • 沖縄県教育庁文化課編1997『東御廻り等関連拝所総合調査2』沖縄県教育委員会
  • 玉城村ほか1995『東御廻いを活用した地域振興に関する調査報告書』
  • 琉球出版社1997『東御廻い―神々と琉球王朝のロマンをたずねて』玉城村役場経済課
  • 湧上元雄・大城秀子1997『沖縄の聖地―拝所と御願』むぎ社
  • みんなの東御廻り連絡協議会『東御廻り―南城市・那覇市・与那原町「東御廻り」史跡・文化財探訪ハンドブック』
  • 『沖縄拝所巡り300』
https://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9D%B1%E5%BE%A1%E5%9B%9E%E3%82%8A%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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