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河内・大念寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年4月13日 (日)
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| - | '''大念寺'''(だいねんじ)は、大阪府南河内郡河南町(河内国石川郡大ケ塚村)にある[[融通念仏宗]]寺院。[[河内六別時]](中本山)の一つで、'''石川別時'''と呼ばれた。'''紫雲山迎接院''' | + | '''大念寺'''(だいねんじ)は、大阪府南河内郡河南町(河内国石川郡大ケ塚村)にある[[融通念仏宗]]寺院。[[河内六別時]](中本山)の一つで、'''石川別時'''と呼ばれた。'''紫雲山迎接院'''と称す。[[善導]]筆の二十五菩薩来迎画像を本尊とする。(参考:同名寺院[[大念寺_(同名)]]) |
| - | [[浄土真宗]]の'''大ケ塚御坊'''([[大ケ塚・顕証寺]])などが集まる大ケ塚寺内町の中にある。元亨3年(1323)、[[法明]]が創建(正中2年(1325)とも) | + | == 歴史 == |
| + | [[浄土真宗]]の'''大ケ塚御坊'''([[大ケ塚・顕証寺]])などが集まる大ケ塚寺内町の中にある。元亨3年(1323)、[[法明]]が創建(正中2年(1325)とも)。大伽藍があり、永正2年(1505)の火災で焼失したという。 | ||
| + | 融通念仏宗寺院としては珍しく挽道場ではなかったという。天文年間(1532-1555)に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に'''大念寺'''と称したという( 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁)。寺院化について塩野芳夫は、寺内町の発展に歩調を合わせたものと推定している。正保3年(1645)に再建される。木造十一面観音立像は、国重要文化財で、[[最澄]]の作と伝える。 | ||
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| + | 文貞まで末寺帳[https://dl.ndl.go.jp/pid/12215951/1/139]より | ||
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| + | *玄海:1715年2月3日自害 | ||
| + | *智海:1734年死去 | ||
| + | *円応:本山役者だったが、1735年1月25日、大念寺住職。 | ||
| + | *泰全?:1747年、大和国久安寺村の専念寺より入る。???南田辺の大念寺? | ||
| + | *完冏:1763香衣綸旨 | ||
| + | *範全:1768年9月14日死去 | ||
| + | *義鑑:1819年9月23日、既に隠居していたが暉覚院の号を下付 | ||
| + | *通関洞山(1769-1832)<1825-1827>:錦部極楽寺18世。極楽寺を隠居後、1825年(文政8年)6月1日、無住になった石川大念寺に招かれ入る。1827年(文政10年)11月退任。暉月院。(略歴は[[河内・極楽寺#組織]]を参照) | ||
| + | *夏野泰通 | ||
| + | *夏野義教(1876-)<1903->:夏野泰通の長男。1876年(明治9年)生[https://dl.ndl.go.jp/pid/1688665/1/437]。1903年(明治36年)大念寺住職。 | ||
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| + | ==資料== | ||
| + | *「末寺僧分御改帳」:1819年(文政2年)2月。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2994480/268] | ||
| + | *「紫雲山歴代録」:「大念寺所蔵古記録並びに古文書」『河内石川村学術調査報告―近世村落資料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2994480/256]。『法会(御回在)の調査研究報告書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12217523/1/77] | ||
| + | *「大念寺所蔵古記録並びに古文書」『河内石川村学術調査報告―近世村落資料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2994480/256] | ||
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| + | *1922『大阪府全志』4巻[https://dl.ndl.go.jp/pid/965801/1/88] | ||
| + | *1926『郷土史の研究』「大念寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1020474/1/90] | ||
| + | *1931『大阪府史蹟名勝天然記念物』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572912/1/179] | ||
| + | *野村豊1952「河内石川村大念寺のデンボについて」[https://dl.ndl.go.jp/pid/6045991/1/13] | ||
| + | *1968『河南町誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3021470/1/161] | ||
| + | *大阪市立博物館編1991『融通念佛宗 その歴史と遺宝』 | ||
| + | *大澤研一1992「融通念佛宗の六別時について」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3431371/1/2]: | ||
| + | *大澤研一2017「近世融通念佛宗の成立と民衆」[https://doi.org/10.34570/omhbull.15.0_0019] | ||
| + | *塩野芳夫1995『近世畿内の社会と宗教』和泉書院 | ||
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2025年4月13日 (日) 時点における最新版
大念寺(だいねんじ)は、大阪府南河内郡河南町(河内国石川郡大ケ塚村)にある融通念仏宗寺院。河内六別時(中本山)の一つで、石川別時と呼ばれた。紫雲山迎接院と称す。善導筆の二十五菩薩来迎画像を本尊とする。(参考:同名寺院大念寺_(同名))
目次 |
歴史
浄土真宗の大ケ塚御坊(大ケ塚・顕証寺)などが集まる大ケ塚寺内町の中にある。元亨3年(1323)、法明が創建(正中2年(1325)とも)。大伽藍があり、永正2年(1505)の火災で焼失したという。 融通念仏宗寺院としては珍しく挽道場ではなかったという。天文年間(1532-1555)に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に大念寺と称したという( 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁)。寺院化について塩野芳夫は、寺内町の発展に歩調を合わせたものと推定している。正保3年(1645)に再建される。木造十一面観音立像は、国重要文化財で、最澄の作と伝える。
組織
歴代住職
文貞まで末寺帳[1]より
- 法明
- 浄因
- 法西
- 宗慶
- 教心
- 幸清
- 三誉
- 広誉
- 文貞
- 浄空
- 慈雲
- 文貞
- 秀雄
- 玄海:1715年2月3日自害
- 智海:1734年死去
- 円応:本山役者だったが、1735年1月25日、大念寺住職。
- 泰全?:1747年、大和国久安寺村の専念寺より入る。???南田辺の大念寺?
- 完冏:1763香衣綸旨
- 範全:1768年9月14日死去
- 義鑑:1819年9月23日、既に隠居していたが暉覚院の号を下付
- 通関洞山(1769-1832)<1825-1827>:錦部極楽寺18世。極楽寺を隠居後、1825年(文政8年)6月1日、無住になった石川大念寺に招かれ入る。1827年(文政10年)11月退任。暉月院。(略歴は河内・極楽寺#組織を参照)
- 夏野泰通
- 夏野義教(1876-)<1903->:夏野泰通の長男。1876年(明治9年)生[2]。1903年(明治36年)大念寺住職。