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河内六別時
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年4月13日 (日)
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六別時は他の末寺と異なり、各寺院を中心として'''ご回在'''を行っていたと推定されるという。また本山[[大念仏寺]]の住職をこの六別時の中からくじで選出していたとされ、『融通念佛宗 その歴史と遺宝』によると、「実質的に大念佛寺の機能が各別時に移動したと思われる」としており、本山も挽道場として各寺院を移動していたことを示唆している。六別時の中でもっとも早く場所を固定化し、寺号を称したのは石川別時で、天文年間に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に大念寺と称したという<ref>『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁。</ref>。 | 六別時は他の末寺と異なり、各寺院を中心として'''ご回在'''を行っていたと推定されるという。また本山[[大念仏寺]]の住職をこの六別時の中からくじで選出していたとされ、『融通念佛宗 その歴史と遺宝』によると、「実質的に大念佛寺の機能が各別時に移動したと思われる」としており、本山も挽道場として各寺院を移動していたことを示唆している。六別時の中でもっとも早く場所を固定化し、寺号を称したのは石川別時で、天文年間に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に大念寺と称したという<ref>『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁。</ref>。 | ||
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| - | [[ | + | *1608年:石川別時大念寺、寺号を称す。 |
| + | *1621年ごろ:錦部別時、石川別時、高安別時が加わり、六別時となる | ||
| + | *1642年(寛永19年):錦部別時極楽寺、現在地の古野村に定着。 | ||
| + | *1652年(承応1年):十箇郷別時来迎寺、現在地に定着。 | ||
| + | *1661年(寛文1年)2月:大念仏寺と大原南坊が本末を争ったときには、法明寺、来迎寺、極楽寺が大念仏寺側に、良明寺、大念寺、高安寺が大原南坊側に付いた。 | ||
| + | *1662年:八尾別時良明寺、寺号を称し平野郷馬場町に堂宇を建立。 | ||
| + | *1669年10月25日:「六別寺」を列記して奉行所に提出[https://dl.ndl.go.jp/pid/12217523/1/67] | ||
| + | *1679年8月10日:「宗門規録」制定。六別時が連署している[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573621/1/188] | ||
| + | *明治:法明寺、来迎寺、極楽寺、大念寺の4寺が中本山となる[https://dl.ndl.go.jp/pid/797603/1/220][https://dl.ndl.go.jp/pid/822653/1/14]。 | ||
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*法明寺については深江説あり(『融通念佛宗 その歴史と遺宝』)。 | *法明寺については深江説あり(『融通念佛宗 その歴史と遺宝』)。 | ||
*高安寺が奈良にあったという説もあるが、根拠不明。 | *高安寺が奈良にあったという説もあるが、根拠不明。 | ||
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| + | 他に二つの別時があった[https://dl.ndl.go.jp/pid/12266069/1/219] | ||
| + | *[[円光寺]]:大阪府柏原市円明町。円明別時 | ||
| + | *[[西恩寺]]:大阪府南河内郡千早赤阪村小吹。西音寺。別時 | ||
==参考文献== | ==参考文献== | ||
2025年4月13日 (日) 時点における最新版
| 河内六別時 |
目次 |
概要
河内六別時(かわち・ろく・べつじ)は、河内国・摂津国(大阪府)にあった6寺の融通念仏宗の有力寺院。いずれも中興法明の旧跡とされる。融通念仏宗の寺院はもともと定まった建物はなく、挽道場、挽寺と呼ばれ、信徒の家を交代に道場としたが、江戸時代に寺院化した。別時(べつじ)とは、別時念仏会(べつじ・ねんぶつえ)を開く道場という意味と思われる。
六別時は他の末寺と異なり、各寺院を中心としてご回在を行っていたと推定されるという。また本山大念仏寺の住職をこの六別時の中からくじで選出していたとされ、『融通念佛宗 その歴史と遺宝』によると、「実質的に大念佛寺の機能が各別時に移動したと思われる」としており、本山も挽道場として各寺院を移動していたことを示唆している。六別時の中でもっとも早く場所を固定化し、寺号を称したのは石川別時で、天文年間に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に大念寺と称したという[1]。
- 1608年:石川別時大念寺、寺号を称す。
- 1621年ごろ:錦部別時、石川別時、高安別時が加わり、六別時となる
- 1642年(寛永19年):錦部別時極楽寺、現在地の古野村に定着。
- 1652年(承応1年):十箇郷別時来迎寺、現在地に定着。
- 1661年(寛文1年)2月:大念仏寺と大原南坊が本末を争ったときには、法明寺、来迎寺、極楽寺が大念仏寺側に、良明寺、大念寺、高安寺が大原南坊側に付いた。
- 1662年:八尾別時良明寺、寺号を称し平野郷馬場町に堂宇を建立。
- 1669年10月25日:「六別寺」を列記して奉行所に提出[1]
- 1679年8月10日:「宗門規録」制定。六別時が連署している[2]
- 明治:法明寺、来迎寺、極楽寺、大念寺の4寺が中本山となる[3][4]。
一覧
- 喜連法明寺(下別時):大阪府大阪市平野区。法明、晩年の隠居寺。
- 丹南来迎寺(十箇郷別時):大阪府松原市。河内国丹南郡丹南村。法明が中興。丹南藩高木家の菩提寺。
- 錦部極楽寺(錦部別時):大阪府河内長野市。河内国錦部郡古野村。法明が創建。河内西代藩(伊勢神戸藩)本多家の菩提寺。
- 平野良明寺(八尾別時):大阪府大阪市平野区。摂津国住吉郡平野荘。法明が創建。廃絶。
- 石川大念寺(石川別時):大阪府南河内郡河南町。河内国石川郡大ケ塚村。法明が創建。
- 水越高安寺(高安別時):大阪府八尾市水越。河内国高安郡。法明が創建。廃絶。
- 法明寺については深江説あり(『融通念佛宗 その歴史と遺宝』)。
- 高安寺が奈良にあったという説もあるが、根拠不明。
他に二つの別時があった[5]
参考文献
- 融通念佛宗教学研究所、平成10『法明上人 その生涯と信仰』
- 大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』
- 明治41『融通念仏宗々憲宗規』
脚注
- ↑ 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁。