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相国寺官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年7月26日 (土)

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'''相国寺官修墳墓'''は京都府京都市上京区にある鹿児島藩の戊辰戦争戦死者墓地。[[相国寺]]に隣接し、[[相国寺林光院]]の境外墓地となっている。[[上御霊神社]]が祭祀か。[[官修墳墓]]。'''鹿児島藩相国寺墓地'''。
'''相国寺官修墳墓'''は京都府京都市上京区にある鹿児島藩の戊辰戦争戦死者墓地。[[相国寺]]に隣接し、[[相国寺林光院]]の境外墓地となっている。[[上御霊神社]]が祭祀か。[[官修墳墓]]。'''鹿児島藩相国寺墓地'''。
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1928『維新志士慰霊祭神名略記』「付録官修墳墓所在」によると61柱。
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1928『維新志士慰霊祭神名略記』「付録官修墳墓所在」によると61柱。[[鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓]]も参照。
林光院は乾崖梵竺(?-1710、妙心寺104世)の頃、鹿児島藩と縁が生じ、幕末には相国寺と鹿児島藩の窓口となった。
林光院は乾崖梵竺(?-1710、妙心寺104世)の頃、鹿児島藩と縁が生じ、幕末には相国寺と鹿児島藩の窓口となった。
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1915年(大正4年)の建立。
1915年(大正4年)の建立。
(日本歴史地名大系、『幕末動乱の京都と相国寺』ほか)
(日本歴史地名大系、『幕末動乱の京都と相国寺』ほか)
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*一覧[https://dl.ndl.go.jp/pid/1210435/1/73]
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*『京都名家墳墓録』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12258691/1/49]
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2025年7月26日 (土) 時点における最新版

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相国寺官修墳墓は京都府京都市上京区にある鹿児島藩の戊辰戦争戦死者墓地。相国寺に隣接し、相国寺林光院の境外墓地となっている。上御霊神社が祭祀か。官修墳墓鹿児島藩相国寺墓地。 1928『維新志士慰霊祭神名略記』「付録官修墳墓所在」によると61柱。鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。

林光院は乾崖梵竺(?-1710、妙心寺104世)の頃、鹿児島藩と縁が生じ、幕末には相国寺と鹿児島藩の窓口となった。 鹿児島藩は相国寺の寺地の一部を借用し、他の藩にはない大きな二本松屋敷を設けるほど強固な関係を築いていた。 1915年(大正4年)の建立。 (日本歴史地名大系、『幕末動乱の京都と相国寺』ほか)

  • 『京都名家墳墓録』[2]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9B%B8%E5%9B%BD%E5%AF%BA%E5%AE%98%E4%BF%AE%E5%A2%B3%E5%A2%93」より作成

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