ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

尾張・尊寿院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年11月5日 (水)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?組織)
 
(間の4版分が非表示)
1行: 1行:
 +
[[ファイル:名古屋東照宮・尾張名所図会・拡大2.jpg|thumb|400px|名古屋東照宮の片隅に尊寿院があった(尾張名所図会)]]
 +
[[ファイル:名古屋東照宮・尾張名所図会.jpg|thumb|500px|江戸時代の名古屋東照宮境内(尾張名所図会)]]
'''尊寿院'''(そんじゅいん)は愛知県名古屋市中区三の丸にあった[[天台宗]]寺院。[[名古屋東照宮]]の別当。'''権現坊'''と号す。山号は天長山。(参考:同名寺院[[尊寿院]])
'''尊寿院'''(そんじゅいん)は愛知県名古屋市中区三の丸にあった[[天台宗]]寺院。[[名古屋東照宮]]の別当。'''権現坊'''と号す。山号は天長山。(参考:同名寺院[[尊寿院]])
-
== 歴史 ==
 
1619年(元和5年)、徳川義直は[[天海]]を招いて父[[徳川家康]]を祀る名古屋東照宮を三の丸に創建。
1619年(元和5年)、徳川義直は[[天海]]を招いて父[[徳川家康]]を祀る名古屋東照宮を三の丸に創建。
-
延暦寺東塔南谷[[日増院]]と[[尾張・密蔵院]]を兼務する珍祐が1世となった。歴代将軍の霊廟を管理する西仏殿も兼務した。
+
同年、延暦寺東塔南谷[[日増院]]と[[尾張・密蔵院]]を兼務する珍祐を別当とした。
-
6世智鋒、7世妙橋。1870年(明治3年)12月廃絶。
+
1627年(寛永4年)、天海、別当所をもって天長山神宮寺と称した。7世妙橋が入り、以後は尊寿院と称した。
-
(日本歴史地名大系)
+
徳川将軍家霊廟も管理した。
 +
1870年(明治3年)12月廃絶。
 +
(日本歴史地名大系、名古屋市史)
 +
==組織==
 +
===歴代住職===
 +
*[[天海]]()<>:
 +
*1珍祐(?-1643)<1619-1643>:[[尾張・密蔵院]]31世。1619年(元和5年)入院。1643年(寛永20年)10月28日死去。権僧正。上乗院と号す。
 +
*2珍海()<1644-?>:密蔵院32世。1644年(正保1年)入院。大僧都。浄心院と号す。
 +
*3珍舜()<1662-?>:密蔵院33世。1662年(寛文2年)入院。権僧正。観心院と号す。
 +
*4霊胤()<1681-?>:密蔵院34世。1681年(天和1年)6月入院。権僧正。城南院と号す。
 +
*5智洞()<1692-?>:密蔵院35世。1692年(元禄5年)4月入院。大僧都。誠心院、恵恩院、至誠院と号す。
 +
*6智鋒()<1706-1726>:密蔵院36世。龍泉寺に住す。1706年(宝永3年)3月入院。1726年(享保11年)12月隠居。僧正。維摩院と号す。
 +
*7妙橋()<1727-1747>:密蔵院37世。比叡山横川鶏足院に住す。1727年(享保12年)2月入院。1747年(延享4年)3月隠居。権僧正。尊寿院、円実院と号す。
 +
*8珍算()<1747-?>:密蔵院38世。1747年(延享4年)4月入院。権僧正。
 +
*9是間()<1751-?>:密蔵院39世。1751年(宝暦1年)4月入院。僧正。最潤?
 +
*10闇〓()<1753-?>:密蔵院40世。1753年(宝暦3年)6月入院。権僧正。円紹?(〓は「言艮」)
 +
*11最歓()<1762-?>:密蔵院41世。1762年(宝暦12年)から。権僧正。
 +
*12円璟()<1790-?>:密蔵院42世。1790年(寛政2年)から。権僧正。尊寿院と号す。
 +
*13円阿()<1814-?>:密蔵院43世。1814年(文化11年)から。僧正。
 +
*14勝応()<1831-?>:密蔵院44世。1831年(天保2年)から。大僧都。
 +
*15円定()<1835-?>:密蔵院45世。1835年(天保6年)から。大僧都。
 +
*16円龍(1808-1880)<1843-?>:密蔵院46世。1843年(天保14年)から。1872年11月、別当廃止により既に前住となっていたが、還俗して上月興那と名乗り、東照宮に奉仕した。僧正。雲阿。
 +
*17円仁()<?-1872>:密蔵院47世。1872年11月、別当廃止。
 +
*金城温古録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2972585/1/137]
 +
 
 +
==資料==
 +
*「尊寿院古記録」:智洞が提出したもの。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3005201/11](限定送信)
 +
*『金鱗九十九之塵』:10世までの歴代を記す。[http://e-library2.gprime.jp/lib_city_nagoya/da/detail?tilcod=0000000005-00001380]
[[Category:愛知県]]
[[Category:愛知県]]

2025年11月5日 (水) 時点における最新版

名古屋東照宮の片隅に尊寿院があった(尾張名所図会)
江戸時代の名古屋東照宮境内(尾張名所図会)

尊寿院(そんじゅいん)は愛知県名古屋市中区三の丸にあった天台宗寺院。名古屋東照宮の別当。権現坊と号す。山号は天長山。(参考:同名寺院尊寿院

1619年(元和5年)、徳川義直は天海を招いて父徳川家康を祀る名古屋東照宮を三の丸に創建。 同年、延暦寺東塔南谷日増院尾張・密蔵院を兼務する珍祐を別当とした。 1627年(寛永4年)、天海、別当所をもって天長山神宮寺と称した。7世妙橋が入り、以後は尊寿院と称した。 徳川将軍家霊廟も管理した。 1870年(明治3年)12月廃絶。 (日本歴史地名大系、名古屋市史)

組織

歴代住職

  • 天海()<>:
  • 1珍祐(?-1643)<1619-1643>:尾張・密蔵院31世。1619年(元和5年)入院。1643年(寛永20年)10月28日死去。権僧正。上乗院と号す。
  • 2珍海()<1644-?>:密蔵院32世。1644年(正保1年)入院。大僧都。浄心院と号す。
  • 3珍舜()<1662-?>:密蔵院33世。1662年(寛文2年)入院。権僧正。観心院と号す。
  • 4霊胤()<1681-?>:密蔵院34世。1681年(天和1年)6月入院。権僧正。城南院と号す。
  • 5智洞()<1692-?>:密蔵院35世。1692年(元禄5年)4月入院。大僧都。誠心院、恵恩院、至誠院と号す。
  • 6智鋒()<1706-1726>:密蔵院36世。龍泉寺に住す。1706年(宝永3年)3月入院。1726年(享保11年)12月隠居。僧正。維摩院と号す。
  • 7妙橋()<1727-1747>:密蔵院37世。比叡山横川鶏足院に住す。1727年(享保12年)2月入院。1747年(延享4年)3月隠居。権僧正。尊寿院、円実院と号す。
  • 8珍算()<1747-?>:密蔵院38世。1747年(延享4年)4月入院。権僧正。
  • 9是間()<1751-?>:密蔵院39世。1751年(宝暦1年)4月入院。僧正。最潤?
  • 10闇〓()<1753-?>:密蔵院40世。1753年(宝暦3年)6月入院。権僧正。円紹?(〓は「言艮」)
  • 11最歓()<1762-?>:密蔵院41世。1762年(宝暦12年)から。権僧正。
  • 12円璟()<1790-?>:密蔵院42世。1790年(寛政2年)から。権僧正。尊寿院と号す。
  • 13円阿()<1814-?>:密蔵院43世。1814年(文化11年)から。僧正。
  • 14勝応()<1831-?>:密蔵院44世。1831年(天保2年)から。大僧都。
  • 15円定()<1835-?>:密蔵院45世。1835年(天保6年)から。大僧都。
  • 16円龍(1808-1880)<1843-?>:密蔵院46世。1843年(天保14年)から。1872年11月、別当廃止により既に前住となっていたが、還俗して上月興那と名乗り、東照宮に奉仕した。僧正。雲阿。
  • 17円仁()<?-1872>:密蔵院47世。1872年11月、別当廃止。
  • 金城温古録[1]

資料

  • 「尊寿院古記録」:智洞が提出したもの。[2](限定送信)
  • 『金鱗九十九之塵』:10世までの歴代を記す。[3]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E3%83%BB%E5%B0%8A%E5%AF%BF%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール