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伊和神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''伊和神社'''は兵庫県宍粟市一宮町須行名(播磨国宍粟郡)にある播磨開拓神を祀る神社。 | '''伊和神社'''は兵庫県宍粟市一宮町須行名(播磨国宍粟郡)にある播磨開拓神を祀る神社。 | ||
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2026年1月13日 (火) 時点における版
伊和神社は兵庫県宍粟市一宮町須行名(播磨国宍粟郡)にある播磨開拓神を祀る神社。 式内社。名神大社。播磨国一宮。国幣中社。神社本庁別表神社。 式年祭として21年に一度の「一つ山祭」、61年に一度の「三つ山祭」がある。
目次 |
歴史
境内
- 本社
- 五柱社
- 播磨十六郡神社
- 播磨十六郡神社
- 市杵島姫神社
- 御霊殿
- 鶴石
- 宮山
- 白倉山
- 高畑山
- 花咲山
- 篳篥神社:兵庫県宍粟市山崎町須賀沢。遙拝所?
組織
宮司
安保家、大井家、安黒家の歴代[1]
- 安黒正継()<>:
- 安黒正衡()<>:
- 上井栄雄()<>:広田神社禰宜。1885年(明治18年)5月27日、伊和神社宮司[2]。1895年(明治28年)5月24日、安仁神社宮司[3]。
- 西村楯間佐()<>:1895年(明治28年)5月24日、伊和神社宮司[4]。1897年(明治30年)5月19日退任[5]。西邑楯間佐。
- 宮原景雄()<>:1897年(明治30年)6月1日、伊和神社宮司[6]。9月21日退任[7]。
- 松岡調()<>:1897年(明治30年)9月21日伊和神社宮司[8]。1902年(明治35年)1月29日、田村神社宮司[9]。高松藩出身の国学者。藩士佐野衛士の子。初名は春初。友安三冬に師事。梶原景紹の『讃岐国名勝図会』の挿絵を描く。讃岐三宮の多和神社神主の松岡寛房の養子となる。平田派に入門。1869年(明治2年)1月から神仏分離のための神社調査に従事。同年、神櫛王墓の修復を進言して翌年竣工。高松藩皇学寮督学となる。1872年(明治5年)1月、金刀比羅宮禰宜となるが、1895年(明治28年)5月、南光利宮司の免職に伴い、辞職。1897年(明治30年)9月、伊和神社宮司。1902年(明治35年)1月、田村神社宮司。従六位。1904年(明治37年)12月、在職で死去。自宅に多和文庫を設け、古書を収めた。著書多数。『年々日記』154冊がある。
- 高階幸造(1864-1922)<>:1902年(明治35年)1月29日、伊和神社宮司[10]。1903年(明治36年)11月11日、広田神社宮司[11]。(略歴は、四條畷神社#組織を参照)
- 飯島誠()<>:大山祇神社宮司を経て1903年(明治36年)11月11日、伊和神社宮司[12]。1911年(明治44年)10月9日、広瀬神社宮司[13]。
- 斎藤英夫()<>:氷川神社禰宜を経て1911年(明治44年)10月9日、伊和神社宮司[14]。1914年(大正3年)6月17日、白山比咩神社宮司[15]。
- 松永常彦()<>:1914年(大正3年)6月17日、伊和神社宮司[16]。1919年(大正8年)6月27日、射水神社宮司[17]。
- 加藤七郎(1885-1947)<> :1919年(大正8年)6月27日、伊和神社宮司[18]。1921年(大正10年)3月29日、鹿児島神宮宮司[19]。(略歴は、鹿島神宮#組織を参照)
- 菅貞幸()<>:1921年(大正10年)3月29日、伊和神社宮司[20]。1929年(昭和4年)3月5日、談山神社宮司[21]。
- 小林盛哉()<>:波上宮宮司を経て1929年(昭和4年)3月5日、伊和神社宮司[22]。1937年(昭和12年)8月28日退任[23]。
- 西田重一(1902-1985)<1937-1940>:初代秋田県神社庁長。二荒山神社禰宜を経て1937年(昭和12年)8月28日、伊和神社宮司[24]。1940年(昭和15年)6月25日、退職[25]。古四王神社宮司、秋田県護国神社宮司、宇都宮二荒山神社宮司を歴任。(略歴は古四王神社#組織を参照)
- 金津泰鯉()<>:1940年(昭和15年)6月25日、伊和神社宮司[26]。1943年(昭和18年)6月25日、丹生都比売神社宮司[27]。
- 福山純忠()<>:1943年(昭和18年)6月25日、伊和神社宮司[28]。1945年(昭和20年)7月27日退任[29]。
- 斎藤芳美()<>: 1945年(昭和20年)7月27日伊和神社宮司[30]。
- 安黒幸治()<>:1947年(昭和22年)1月31日
- 安黒義郎()<>:1974年(昭和49年)3月8日
- 安黒秀幸()<>:2006年(平成18年)6月15日
資料
- 「播州一宮書類写」[31]
- 『古事類苑』「伊和神社」[32]
- 曽根研三1939『伊和神社史の研究』[33]
- 岩井忠彦1986「播磨国一宮・伊和神社領の変遷--地域史学習における文献史料の活用」[34]
- 伊和神社文書[35]
- 『兵庫県官国幣社誌』「伊和神社」[36]
- 荒木良雄1961「伊和神社本殿建築様式の意味するもの」[37]
- 文化財保護委員会1966「総社の「やま」と伊和神社」[38]
- 『官国幣社特殊神事調』「伊和神社」[39]