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伊和神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年1月17日 (土)

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*花咲山
*花咲山
*篳篥神社:兵庫県宍粟市山崎町須賀沢。遙拝所?
*篳篥神社:兵庫県宍粟市山崎町須賀沢。遙拝所?
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*[[与位神社]]:兵庫県宍粟市山崎町与位。伊和三社の一つ。
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*[[子勝神社]]:伊和三社の一つ。与位神社に合祀。
==組織==
==組織==

2026年1月17日 (土) 時点における最新版

北向きの社殿

伊和神社は兵庫県宍粟市一宮町須行名(播磨国宍粟郡)にある播磨開拓神を祀る神社。 式内社名神大社播磨国一宮国幣中社神社本庁別表神社式年祭として21年に一度の「一つ山祭」、61年に一度の「三つ山祭」がある。

目次

歴史

境内

伊和神社-26.jpg
  • 本社
  • 五柱社
  • 播磨十六郡神社
  • 播磨十六郡神社
  • 市杵島姫神社
  • 御霊殿
  • 鶴石
  • 宮山
  • 白倉山
  • 高畑山
  • 花咲山
  • 篳篥神社:兵庫県宍粟市山崎町須賀沢。遙拝所?
  • 与位神社:兵庫県宍粟市山崎町与位。伊和三社の一つ。
  • 子勝神社:伊和三社の一つ。与位神社に合祀。

組織

宮司

安保家、大井家、安黒家の歴代[1]

  • 安黒正継()<>:
  • 安黒正衡()<>:
  • 上井栄雄()<>:広田神社禰宜。1885年(明治18年)5月27日、伊和神社宮司[2]。1895年(明治28年)5月24日、安仁神社宮司[3]
  • 西村楯間佐()<>:1895年(明治28年)5月24日、伊和神社宮司[4]。1897年(明治30年)5月19日退任[5]。西邑楯間佐。
  • 宮原景雄()<>:1897年(明治30年)6月1日、伊和神社宮司[6]。9月21日退任[7]
  • 松岡調()<>:1897年(明治30年)9月21日伊和神社宮司[8]。1902年(明治35年)1月29日、田村神社宮司[9]。高松藩出身の国学者。藩士佐野衛士の子。初名は春初。友安三冬に師事。梶原景紹の『讃岐国名勝図会』の挿絵を描く。讃岐三宮の多和神社神主の松岡寛房の養子となる。平田派に入門。1869年(明治2年)1月から神仏分離のための神社調査に従事。同年、神櫛王墓の修復を進言して翌年竣工。高松藩皇学寮督学となる。1872年(明治5年)1月、金刀比羅宮禰宜となるが、1895年(明治28年)5月、南光利宮司の免職に伴い、辞職。1897年(明治30年)9月、伊和神社宮司。1902年(明治35年)1月、田村神社宮司。従六位。1904年(明治37年)12月、在職で死去。自宅に多和文庫を設け、古書を収めた。著書多数。『年々日記』154冊がある。
  • 高階幸造(1864-1922)<>:1902年(明治35年)1月29日、伊和神社宮司[10]。1903年(明治36年)11月11日、広田神社宮司[11]。(略歴は、四條畷神社#組織を参照)
  • 飯島誠()<>:大山祇神社宮司を経て1903年(明治36年)11月11日、伊和神社宮司[12]。1911年(明治44年)10月9日、広瀬神社宮司[13]
  • 斎藤英夫()<>:氷川神社禰宜を経て1911年(明治44年)10月9日、伊和神社宮司[14]。1914年(大正3年)6月17日、白山比咩神社宮司[15]
  • 松永常彦()<>:1914年(大正3年)6月17日、伊和神社宮司[16]。1919年(大正8年)6月27日、射水神社宮司[17]
  • 加藤七郎(1885-1947)<> :1919年(大正8年)6月27日、伊和神社宮司[18]。1921年(大正10年)3月29日、鹿児島神宮宮司[19]。(略歴は、鹿島神宮#組織を参照)
  • 菅貞幸()<>:1921年(大正10年)3月29日、伊和神社宮司[20]。1929年(昭和4年)3月5日、談山神社宮司[21]
  • 小林盛哉()<>:波上宮宮司を経て1929年(昭和4年)3月5日、伊和神社宮司[22]。1937年(昭和12年)8月28日退任[23]
  • 西田重一(1902-1985)<1937-1940>:初代秋田県神社庁長。二荒山神社禰宜を経て1937年(昭和12年)8月28日、伊和神社宮司[24]。1940年(昭和15年)6月25日、退職[25]。古四王神社宮司、秋田県護国神社宮司、宇都宮二荒山神社宮司を歴任。(略歴は古四王神社#組織を参照)
  • 金津泰鯉()<>:1940年(昭和15年)6月25日、伊和神社宮司[26]。1943年(昭和18年)6月25日、丹生都比売神社宮司[27]
  • 福山純忠()<>:1943年(昭和18年)6月25日、伊和神社宮司[28]。1945年(昭和20年)7月27日退任[29]
  • 斎藤芳美()<>: 1945年(昭和20年)7月27日伊和神社宮司[30]
  • 安黒幸治()<>:1947年(昭和22年)1月31日
  • 安黒義郎()<>:1974年(昭和49年)3月8日
  • 安黒秀幸()<>:2006年(平成18年)6月15日

資料

  • 「播州一宮書類写」[31]
  • 『古事類苑』「伊和神社」[32]
  • 曽根研三1939『伊和神社史の研究』[33]
  • 岩井忠彦1986「播磨国一宮・伊和神社領の変遷--地域史学習における文献史料の活用」[34]
  • 伊和神社文書[35]
  • 『兵庫県官国幣社誌』「伊和神社」[36]
  • 荒木良雄1961「伊和神社本殿建築様式の意味するもの」[37]
  • 文化財保護委員会1966「総社の「やま」と伊和神社」[38]
  • 『官国幣社特殊神事調』「伊和神社」[39]

画像

資料

https://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%8A%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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