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三鈷寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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証空は多宝塔を建て、如法仏眼曼荼羅と釈迦如来、阿弥陀如来を奉安、外陣には天台大師と善導大師を祭った。 | 証空は多宝塔を建て、如法仏眼曼荼羅と釈迦如来、阿弥陀如来を奉安、外陣には天台大師と善導大師を祭った。 | ||
証空は没後、この地に埋葬され、華台廟が建てられた。 | 証空は没後、この地に埋葬され、華台廟が建てられた。 | ||
- | + | 北尾往生院。西山往生院。善峰寺往生院。 | |
1951年(昭和26年)、天台宗より独立して西山宗を立てる。 | 1951年(昭和26年)、天台宗より独立して西山宗を立てる。 | ||
2018年4月2日 (月) 時点における版
三鈷寺 さんこじ | |
概要 | 浄土宗西山派の発祥地寺院。証空墓所。 |
奉斎 | |
所在地 | 京都府京都市西京区大原野石作町1323 |
所在地(旧国郡) | 山城国 |
所属(現在) | 西山宗 |
格式など | 西山宗 本山 |
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目次 |
概要
西山派発祥地。比叡山の源算は、西山に善峯寺を創建。さらに1074年(承保1年)にその北の峯に往生院を創建して隠遁した。その後、荒廃したが、観性が1161年(応保1年)に往生院に住した。観性は死の間際、弟子の慈円に往生院を託した。 1213年(建保1年)、証空は慈円より往生院を譲られて、住した。 証空は多宝塔を建て、如法仏眼曼荼羅と釈迦如来、阿弥陀如来を奉安、外陣には天台大師と善導大師を祭った。 証空は没後、この地に埋葬され、華台廟が建てられた。 北尾往生院。西山往生院。善峰寺往生院。 1951年(昭和26年)、天台宗より独立して西山宗を立てる。
(参考:同名寺院往生院)
画像
参考文献
- 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版