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長安・龍興観

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月1日 (土)

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'''龍興観'''(りゅうこうかん)は、唐代[[長安]]崇化坊にあった[[道観]]
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'''龍興観'''(りゅうこうかん)は、唐代[[長安]]崇化坊にあった[[道観]]。全国に置かれた[[龍興観]]の一つ。
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道士が皇太子李承乾の病気を治したの機に創建。当初は西華観といった。太宗から高宗時代にかけての学者道士として知られた成玄英が住した。彼は貞観21年(647)から行われた『老子』のサンスクリット訳に玄奘とともに従事している。則天武后の垂拱3年(687)、金台観と改称。神龍3年(707)に龍興観となった。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社)
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== 歴史 ==
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道士が皇太子李承乾の病気を治したの機に創建。当初は'''西華観'''といった。太宗から高宗時代にかけての学者道士として知られた成玄英が住した。彼は貞観21年(647)から行われた『老子』のサンスクリット訳に[[玄奘]]とともに従事している。[[則天武后]]の垂拱3年(687)、'''金台観'''と改称。神龍3年(707)に龍興観となった。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社)
[[category:中華人民共和国陝西省]]
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2019年6月1日 (土) 時点における最新版

龍興観(りゅうこうかん)は、唐代長安崇化坊にあった道観。全国に置かれた龍興観の一つ。

歴史

道士が皇太子李承乾の病気を治したの機に創建。当初は西華観といった。太宗から高宗時代にかけての学者道士として知られた成玄英が住した。彼は貞観21年(647)から行われた『老子』のサンスクリット訳に玄奘とともに従事している。則天武后の垂拱3年(687)、金台観と改称。神龍3年(707)に龍興観となった。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社)

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