ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

但馬・気多神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月6日 (土)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成:「'''気多神社'''(けた・じんじゃ)は兵庫県豊岡市日高町上郷(但馬国気多郡)にある気多信仰の神社。祭神は大己貴命(...」)
 
1行: 1行:
'''気多神社'''(けた・じんじゃ)は兵庫県豊岡市日高町上郷(但馬国気多郡)にある[[気多信仰]]の神社。祭神は[[大己貴命]](兵庫県神社庁ウェブサイト)。[[官社]]。但馬国[[総社]]。郷社。'''惣社大明神'''。
'''気多神社'''(けた・じんじゃ)は兵庫県豊岡市日高町上郷(但馬国気多郡)にある[[気多信仰]]の神社。祭神は[[大己貴命]](兵庫県神社庁ウェブサイト)。[[官社]]。但馬国[[総社]]。郷社。'''惣社大明神'''。
-
但馬国司が祭祀する総社として創建されたと伝える。あるいは大己貴命と葦原志許男命が争った時に大己貴命の黒葛がこの地に落ちたため祀ったという。1285年(弘安8年)の「但馬国太田文」に記載のある「惣社」に該当するとみられる。但馬国の諸寺による大般若会が営まれていたとみられる。[[進美寺]]とも関係があった。1427年(応永34年)在銘の鰐口が現存し、「奉懸但州気多惣社大明神」とある。1870年(明治3年)気多神社と称し、1873年(明治6年)10月、郷社に列格。
+
但馬国司が祭祀する総社として創建されたと伝える。あるいは大己貴命と葦原志許男命(どちらも[[大国主命]]の異名)が争った時に大己貴命の黒葛がこの地に落ちたため祀ったという。1285年(弘安8年)の「但馬国太田文」に記載のある「惣社」に該当するとみられる。但馬国の諸寺による大般若会が営まれていたとみられる。[[進美寺]]とも関係があった。1427年(応永34年)在銘の鰐口が現存し、「奉懸但州気多惣社大明神」とある。1870年(明治3年)気多神社と称し、1873年(明治6年)10月、郷社に列格。
(日本歴史地名大系、兵庫県神社庁ウェブサイト)
(日本歴史地名大系、兵庫県神社庁ウェブサイト)
[[category:兵庫県]]
[[category:兵庫県]]

2021年3月6日 (土) 時点における最新版

気多神社(けた・じんじゃ)は兵庫県豊岡市日高町上郷(但馬国気多郡)にある気多信仰の神社。祭神は大己貴命(兵庫県神社庁ウェブサイト)。官社。但馬国総社。郷社。惣社大明神

但馬国司が祭祀する総社として創建されたと伝える。あるいは大己貴命と葦原志許男命(どちらも大国主命の異名)が争った時に大己貴命の黒葛がこの地に落ちたため祀ったという。1285年(弘安8年)の「但馬国太田文」に記載のある「惣社」に該当するとみられる。但馬国の諸寺による大般若会が営まれていたとみられる。進美寺とも関係があった。1427年(応永34年)在銘の鰐口が現存し、「奉懸但州気多惣社大明神」とある。1870年(明治3年)気多神社と称し、1873年(明治6年)10月、郷社に列格。 (日本歴史地名大系、兵庫県神社庁ウェブサイト)

https://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BD%86%E9%A6%AC%E3%83%BB%E6%B0%97%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール