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善光寺大本願
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年2月19日 (水)
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| - | '''善光寺大本願'''(ぜんこうじ・だいほんがん)は、長野県長野市長野元善町にある[[浄土宗]]の[[浄土宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[善光寺如来]]。[[天台宗]][[善光寺大勧進|大勧進]]とともに[[善光寺]]の寺務を預ける。[[浄土宗知恩院派]]大本山。社寺の維持造営のために資金調達を行う職のことを勧進職や本願職と言い、大勧進、大本願の名前もこれに由来すると思われる。歴代住職を尼僧が務め、'''善光寺上人'''と呼ばれ、[[伊勢]][[慶光院]]・[[熱田誓願寺]]と共に[[勅許三上人]]の一人とされていた。[[信濃善光寺関連旧跡]] | + | '''善光寺大本願'''(ぜんこうじ・だいほんがん)は、長野県長野市長野元善町にある[[浄土宗]]の[[浄土宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[善光寺如来]]。[[天台宗]][[善光寺大勧進|大勧進]]とともに[[善光寺]]の寺務を預ける。[[浄土宗知恩院派]]大本山。社寺の維持造営のために資金調達を行う職のことを勧進職や本願職と言い、大勧進、大本願の名前もこれに由来すると思われる。歴代住職を尼僧が務め、'''善光寺上人'''と呼ばれ、[[伊勢]][[慶光院]]・[[熱田誓願寺]]と共に[[勅許三上人]]の一人とされていた。[[信濃善光寺関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[大本願]]) |
==歴史== | ==歴史== | ||
*飛鳥時代:[[聖徳太子]]妃の刀自古郎女が善光寺に参詣し創建。 | *飛鳥時代:[[聖徳太子]]妃の刀自古郎女が善光寺に参詣し創建。 | ||
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==組織== | ==組織== | ||
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===住職=== | ===住職=== | ||
住職の尼僧は'''善光寺上人'''と呼ばれ、[[勅許三上人]]の一人。現在は、他の[[浄土宗の本山寺院]]と同様に法主と称する。 | 住職の尼僧は'''善光寺上人'''と呼ばれ、[[勅許三上人]]の一人。現在は、他の[[浄土宗の本山寺院]]と同様に法主と称する。 | ||
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|経歴不詳。[[甲斐善光寺]]1世。当時は善光寺は真言宗。 | |経歴不詳。[[甲斐善光寺]]1世。当時は善光寺は真言宗。 | ||
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|経歴不詳。甲斐善光寺2世。善光寺如来が各地を転々としているときも甲府に留まったとも考えられている(随従したともいう)。 | |経歴不詳。甲斐善光寺2世。善光寺如来が各地を転々としているときも甲府に留まったとも考えられている(随従したともいう)。 | ||
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|1588-1612 | |1588-1612 | ||
| - | + | |善光寺大本願中興開山。善光寺上人1世。[[甚目寺]](真言宗)の尼僧。善光寺如来が岐阜から甚目寺に遷ったときに、智誓に弟子入りしたと思われる。のち善光寺如来は甲府に戻り、甲斐善光寺3世となる。1597年(慶長2年)、[[聖護院]]道澄・勧修寺中納言を通して、上人号勅許を得た(善光寺上人)。善光寺如来の如来京都遷座に先駆けてのものであった。京都に随従か。1601年(慶長6年)、[[徳川家康]]より朱印地約1000石を賜る。同年、[[谷中善光寺]]を創建(在住)。墓所は善光寺にあるが、墓所の中央に墓碑が立てられている。墓所は甲斐善光寺にもある。甚目寺に像がある。大蓮社円誉。 | |
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| - | |善光寺大本願中興開山。善光寺上人1世。[[甚目寺]](真言宗)の尼僧。善光寺如来が岐阜から甚目寺に遷ったときに、智誓に弟子入りしたと思われる。のち善光寺如来は甲府に戻り、甲斐善光寺3世となる。1597年(慶長2年)、[[聖護院]]道澄・勧修寺中納言を通して、上人号勅許を得た(善光寺上人)。善光寺如来の如来京都遷座に先駆けてのものであった。京都に随従か。1601年(慶長6年)、[[徳川家康]]より朱印地約1000石を賜る。同年、[[谷中善光寺]] | + | |
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|善光寺上人2世。経歴不詳。善光寺に墓。 | |善光寺上人2世。経歴不詳。善光寺に墓。 | ||
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|善光寺上人3世。経歴不詳。大奥との深いつながりがあり、春日局の支援を得る。参内を果たす。[[青山善光寺]]と善光寺に墓所。 | |善光寺上人3世。経歴不詳。大奥との深いつながりがあり、春日局の支援を得る。参内を果たす。[[青山善光寺]]と善光寺に墓所。 | ||
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|善光寺上人4世。経歴不詳。智善の死後、しばらく事務にあたる。青山善光寺と善光寺に墓所。 | |善光寺上人4世。経歴不詳。智善の死後、しばらく事務にあたる。青山善光寺と善光寺に墓所。 | ||
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|1698-1727 | |1698-1727 | ||
| - | + | |善光寺上人5世。柳沢吉保の娘という。大坂に[[和光寺]]を創建。紫衣を着用(以後恒例)。越後の[[浜善光寺]]も兼任。谷中善光寺を青山に移す([[青山善光寺]])。青山善光寺と善光寺に墓所。光蓮社心誉。 | |
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|善光寺上人6世。奥羽守山藩主松平家の出身。青山善光寺に在住。青山善光寺と善光寺に墓所。 | |善光寺上人6世。奥羽守山藩主松平家の出身。青山善光寺に在住。青山善光寺と善光寺に墓所。 | ||
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|1753-1790 | |1753-1790 | ||
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|善光寺上人7世。大和新庄藩永井家の出身。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。 | |善光寺上人7世。大和新庄藩永井家の出身。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。 | ||
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|善光寺上人8世。中御門(松木)家の出身。1790年(寛政2年)から1836年(天保7年)まで大本願住職。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。 | |善光寺上人8世。中御門(松木)家の出身。1790年(寛政2年)から1836年(天保7年)まで大本願住職。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。 | ||
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|1828-1910 | |1828-1910 | ||
|1837-1910 | |1837-1910 | ||
| - | + | |善光寺上人9世。[[伏見宮]]邦家親王第三王女。1828年(文政11年)生。青山善光寺兼任(幕末まで在住)。1873年(明治6年)、和光寺兼任(1895年(明治28年)まで、在住)。1875年(明治8年)、臣籍降下して久我家に入る。[[知恩院]]から知恩院門主旧邸(兄弟の博経親王が1868年(明治1年)まで門主)を得て、京都に[[得浄明院]]を創建(以降、在住)。1910年(明治43年)死去。姉妹に[[瑞龍寺門跡]]の村雨日栄、[[円照寺門跡]]6世の大知文秀女王がいる。墓所は[[一心院]]。善光寺では歯を埋葬。本蓮社覚誉順阿。 | |
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|勧修寺家の出身。浄勤とも。1911年(明治44年)から1912年(大正1年)まで大本願住職。 | |勧修寺家の出身。浄勤とも。1911年(明治44年)から1912年(大正1年)まで大本願住職。 | ||
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|西園寺家支流の大宮家(子爵)の出身。1885年(明治18年)生。1912年(大正1年)大本願住職。1938年(昭和13年)より[[光照院門跡]]兼任。1961年(昭和36年)引退。隠居ののち給田に住んでいた。1984年(昭和59年)死去。仏教婦人救護会総裁、全日本仏教尼僧法団総裁。 | |西園寺家支流の大宮家(子爵)の出身。1885年(明治18年)生。1912年(大正1年)大本願住職。1938年(昭和13年)より[[光照院門跡]]兼任。1961年(昭和36年)引退。隠居ののち給田に住んでいた。1984年(昭和59年)死去。仏教婦人救護会総裁、全日本仏教尼僧法団総裁。 | ||
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|西園寺家支流の小倉家(子爵)の出身。一条家の養女。1907年(明治40年)生。1961年(昭和36年)大本願法主。1968年(昭和43年)、光照院門跡兼任。1997年(平成9年)大本願引退。2000年(平成12年)死去。全日本仏教尼僧法団総裁。号は玉瑛。 | |西園寺家支流の小倉家(子爵)の出身。一条家の養女。1907年(明治40年)生。1961年(昭和36年)大本願法主。1968年(昭和43年)、光照院門跡兼任。1997年(平成9年)大本願引退。2000年(平成12年)死去。全日本仏教尼僧法団総裁。号は玉瑛。 | ||
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|鷹司誓玉 | |鷹司誓玉 | ||
|1929- | |1929- | ||
| - | |1997- | + | |1997-2025 |
| - | | | + | |鷹司家の分家の出身。1929年(昭和4年)生。1954年慶応義塾大学卒業。1997年(平成9年)善光寺大本願法主に就任。2025/4/8退任。本蓮社願誉深阿。 |
| - | | | + | |- |
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| - | | | + | |川名観恵 |
| - | | | + | |1940- |
| + | |2025- | ||
| + | |自坊は青山善光寺。東京都出身。1940年生。尼衆学校卒。1997年青山善光寺住職。2014年、大本願副住職。2025/4/9大本願法主。日本仏教尼僧法団理事長。真蓮社実誉念阿観恵上人。 | ||
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[[category:長野県]] | [[category:長野県]] | ||
2025年2月19日 (水) 時点における最新版
善光寺大本願(ぜんこうじ・だいほんがん)は、長野県長野市長野元善町にある浄土宗の本山寺院。本尊は善光寺如来。天台宗大勧進とともに善光寺の寺務を預ける。浄土宗知恩院派大本山。社寺の維持造営のために資金調達を行う職のことを勧進職や本願職と言い、大勧進、大本願の名前もこれに由来すると思われる。歴代住職を尼僧が務め、善光寺上人と呼ばれ、伊勢慶光院・熱田誓願寺と共に勅許三上人の一人とされていた。信濃善光寺関連旧跡。(参考:同名寺院大本願)
目次 |
歴史
- 飛鳥時代:聖徳太子妃の刀自古郎女が善光寺に参詣し創建。
- 鎌倉時代初期:65世智誓が、善光寺に参詣した法然に帰依。浄土宗となる。
- 1558年(永禄1年):武田信玄が甲斐に善光寺如来を移した時(甲斐善光寺)、大本願鏡空が随従した。
- 1597年(慶長2年):智慶、聖護院道澄・勧修寺中納言を通して、上人号勅許を得た(善光寺上人)。善光寺如来の如来京都遷座に先駆けてのものであった。大本願上人が京都に随従。
- 1598年(慶長3年):智慶、善光寺如来と共に信濃に帰還。
- 1601年(慶長6年):徳川家康より善光寺に朱印地約1000石を賜る。
- 1601年(慶長6年):江戸の滞在所として谷中善光寺を創建。
- 1623年(元和9年)以後:徳川家光の発願で母崇源院の位牌を収めて徳川家御霊屋を建立。
- 1680年(延宝8年)?:徳川家御霊屋修復。
- 1686年(貞享3年):輪王寺宮の命で、浄土宗15坊が天台宗に改宗。
- 1695年(元禄8年):中衆が浄土宗に復帰。
- 1698年(元禄11年):113世智善、大坂和光寺を創建。幕府が難波の堀江とされる「阿弥陀池」の地を寄進した。
- 1705年(宝永2年)12月27日:江戸善光寺、谷中から青山に移転。
- 1705年(宝永2年):徳川家御霊屋焼失
- 1707年(宝永4年):浄光院(徳川綱吉室)の発願で徳川家御霊屋、再建。
- 1797年(寛政9年):徳川家御霊屋修復。
- 1847年(弘化4年):地震で徳川家御霊屋倒壊
- 1872年(明治5年):知恩院所轄となる。
- 1882年(明治15年)6月:知恩院門跡(華頂宮家)の御殿「華頂殿」の跡地が、善光寺大本願117世の誓円に寄進された(得浄明院の起源)。
- 1894年(明治27年)9月:得浄明院、善光寺京都別院として創建された(1901年(明治34年)4月とも。新纂浄土宗大辞典年表)。
- 1914年(大正3年):明照殿造営。
- 1925年(大正14年)2月13日:光照院、三時知恩寺、得浄明院、大本願を特別寺院に指定。のち別格寺院、准檀林、由緒寺院、特別寺院に昇格。
- 1926年(昭和1年)2月6日:大阪和光寺、特別寺院に昇格(浄土宗近代百年史年表)。
- 1928年(昭和3年)2月22日:青山善光寺、特別寺院(浄土宗近代百年史年表)。
- 1954年(昭和29年)4月1日:特別寺院から大本山に昇格(浄土宗近代百年史年表)。
- 1979年(昭和54年)8月23日:奥書院全焼。
- 1979年(昭和54年):寿光殿造営。
- 1980年(昭和55年):奥書院再建。
- 1989年(平成1年)4月:宝物殿造営。
- 1989年(平成1年)11月:文殊堂建立。
- 1996年(平成8年)11月:本堂本誓殿を再建。
- 2008年(平成20年):明照殿改築。
伽藍
- 本堂:本誓殿。本尊は善光寺如来。善導、法然、本田三卿像、歴代上人位牌などを祀る。1996年(平成8年)11月再建。
- 位牌堂:1989年(平成1年)再建。
- 光明閣:中央に善光寺如来、右に明治天皇、昭憲皇太后、貞明皇后、昭和天皇ほか皇族の位牌を祀り、左に李王家寄進の地蔵像を祀る。
- 徳川家御霊屋:廃絶。徳川家光の発願で母崇源院の位牌を納めて誓誉智伝が建立。本理院の位牌も納められた。1780年(安永9年)、幕府の支援を得て修復。1705年(宝永2年)焼失。1707年(宝永4年)、浄光院(徳川綱吉室)の発願で再建。1797年(寛政9年)、修復。1847年(弘化4年)の地震で倒壊し、再建されなかった。(「信濃善光寺本理院殿廟墓について」[1])
- 歴代上人廟:善光寺本堂の北に移転。
- 徳川家廟所:善光寺本堂の北に移転。
- 奥書院:1980年(昭和55年)再建。
- 表書院
- 明照殿:本尊は善光寺如来。1914年(大正3年)造営。2008年(平成20年)改築。
- 寿光殿:本尊は聖観音(北村西望作)。1979年(昭和54年)造営。大本願事務所がある。
- 文殊堂:本尊は文殊菩薩と普賢菩薩。1989年(平成1年)11月建立。
- 宝物殿:1989年(平成1年)4月造営。
組織
住職
住職の尼僧は善光寺上人と呼ばれ、勅許三上人の一人。現在は、他の浄土宗の本山寺院と同様に法主と称する。
| 世数 | 名前 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 尊光 | 伝説的な尼僧。聖徳太子妃、蘇我馬子の娘の「刀自古郎女」とされているらしい。 | ||
| 65 | 智誓 | 伝説的な尼僧。法然に師事し、善光寺は浄土宗に帰したという(浄土宗寺院調書)。 | ||
| 107 | 鏡空智浄 | ?-1567 | ?-1564 | 経歴不詳。甲斐善光寺1世。当時は善光寺は真言宗。 |
| 108 | 智誓(誓観) | 1564-1588 | 経歴不詳。甲斐善光寺2世。善光寺如来が各地を転々としているときも甲府に留まったとも考えられている(随従したともいう)。 | |
| 109 | 智慶 | 1588-1612 | 善光寺大本願中興開山。善光寺上人1世。甚目寺(真言宗)の尼僧。善光寺如来が岐阜から甚目寺に遷ったときに、智誓に弟子入りしたと思われる。のち善光寺如来は甲府に戻り、甲斐善光寺3世となる。1597年(慶長2年)、聖護院道澄・勧修寺中納言を通して、上人号勅許を得た(善光寺上人)。善光寺如来の如来京都遷座に先駆けてのものであった。京都に随従か。1601年(慶長6年)、徳川家康より朱印地約1000石を賜る。同年、谷中善光寺を創建(在住)。墓所は善光寺にあるが、墓所の中央に墓碑が立てられている。墓所は甲斐善光寺にもある。甚目寺に像がある。大蓮社円誉。 | |
| 110 | 誓信(清信) | 1612-1629 | 善光寺上人2世。経歴不詳。善光寺に墓。 | |
| 111 | 智伝 | 1630-1672 | 善光寺上人3世。経歴不詳。大奥との深いつながりがあり、春日局の支援を得る。参内を果たす。青山善光寺と善光寺に墓所。 | |
| 112 | 誓伝 | 1672-1698 | 善光寺上人4世。経歴不詳。智善の死後、しばらく事務にあたる。青山善光寺と善光寺に墓所。 | |
| 113 | 智善 | 1698-1727 | 善光寺上人5世。柳沢吉保の娘という。大坂に和光寺を創建。紫衣を着用(以後恒例)。越後の浜善光寺も兼任。谷中善光寺を青山に移す(青山善光寺)。青山善光寺と善光寺に墓所。光蓮社心誉。 | |
| 114 | 誓興 | 1732-1752 | 善光寺上人6世。奥羽守山藩主松平家の出身。青山善光寺に在住。青山善光寺と善光寺に墓所。 | |
| 115 | 智観 | 1753-1790 | 善光寺上人7世。大和新庄藩永井家の出身。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。 | |
| 116 | 智昭 | 1790-1836 | 善光寺上人8世。中御門(松木)家の出身。1790年(寛政2年)から1836年(天保7年)まで大本願住職。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。 | |
| 117 | 久我誓円 | 1828-1910 | 1837-1910 | 善光寺上人9世。伏見宮邦家親王第三王女。1828年(文政11年)生。青山善光寺兼任(幕末まで在住)。1873年(明治6年)、和光寺兼任(1895年(明治28年)まで、在住)。1875年(明治8年)、臣籍降下して久我家に入る。知恩院から知恩院門主旧邸(兄弟の博経親王が1868年(明治1年)まで門主)を得て、京都に得浄明院を創建(以降、在住)。1910年(明治43年)死去。姉妹に瑞龍寺門跡の村雨日栄、円照寺門跡6世の大知文秀女王がいる。墓所は一心院。善光寺では歯を埋葬。本蓮社覚誉順阿。 |
| 118 | 勧修寺勇心 | 1911-1912 | 勧修寺家の出身。浄勤とも。1911年(明治44年)から1912年(大正1年)まで大本願住職。 | |
| 119 | 大宮智栄 | 1885-1984 | 1912-1961 | 西園寺家支流の大宮家(子爵)の出身。1885年(明治18年)生。1912年(大正1年)大本願住職。1938年(昭和13年)より光照院門跡兼任。1961年(昭和36年)引退。隠居ののち給田に住んでいた。1984年(昭和59年)死去。仏教婦人救護会総裁、全日本仏教尼僧法団総裁。 |
| 120 | 一条智光 | 1907-2000 | 1961-1997 | 西園寺家支流の小倉家(子爵)の出身。一条家の養女。1907年(明治40年)生。1961年(昭和36年)大本願法主。1968年(昭和43年)、光照院門跡兼任。1997年(平成9年)大本願引退。2000年(平成12年)死去。全日本仏教尼僧法団総裁。号は玉瑛。 |
| 121 | 鷹司誓玉 | 1929- | 1997-2025 | 鷹司家の分家の出身。1929年(昭和4年)生。1954年慶応義塾大学卒業。1997年(平成9年)善光寺大本願法主に就任。2025/4/8退任。本蓮社願誉深阿。 |
| 122 | 川名観恵 | 1940- | 2025- | 自坊は青山善光寺。東京都出身。1940年生。尼衆学校卒。1997年青山善光寺住職。2014年、大本願副住職。2025/4/9大本願法主。日本仏教尼僧法団理事長。真蓮社実誉念阿観恵上人。 |