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天海旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年1月18日 (日)
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'''天海'''(てんかい)(1536-1643)は[[天台宗]]の[[天台宗の諸師旧跡|僧侶]]。[[日光山]]の中興開山。[[徳川家康]]のブレーン。'''慈眼大師'''。 | '''天海'''(てんかい)(1536-1643)は[[天台宗]]の[[天台宗の諸師旧跡|僧侶]]。[[日光山]]の中興開山。[[徳川家康]]のブレーン。'''慈眼大師'''。 | ||
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==略歴== | ==略歴== | ||
===年譜=== | ===年譜=== | ||
| - | 1536年1月1日:陸奥国会津高田で誕生 | + | *1536年1月1日:陸奥国会津高田で誕生 |
| - | + | *1546年:[[会津龍興寺]]で得度。会津高田稲荷堂の舜海に師事。 | |
| - | + | *1549年:[[比叡山]]へ修学。実全に師事。のち[[園城寺]]や[[南都]]でも学ぶ。 | |
| - | + | *1571年:[[織田信長]]の比叡山焼打で、甲斐国の[[武田信玄]]のもとに避難。 | |
| - | 1577年:会津の蘆名氏に寄寓。 | + | *1577年:会津の蘆名氏に寄寓。 |
| - | + | *1577年:[[世良田長楽寺]]で春豪から葉上流の伝授を受けた。 | |
| - | + | *1590年:小田原の[[豊臣秀吉]]に参陣。 | |
| - | + | *1590年:蘆名盛重に招かれ、[[江戸崎不動院]]に入る。 | |
| - | + | *1599年:[[武蔵・喜多院|喜多院]]住職。 | |
| - | + | *1603年:[[宗光寺]]住職 | |
| - | + | *1607年:[[徳川家康]]、天海に比叡山復興を命じる。[[延暦寺南光坊]]に入る。探題奉行となり、論義法要を復興する。 | |
| - | 1608年:駿府に赴く。 | + | *1608年:駿府に赴く。 |
| - | + | *1609年:権大僧正。 | |
| - | + | *1611年:[[後陽成天皇]]から[[毘沙門堂]]を賜る(復興は1665年のこととなる) | |
| - | + | *1612年:徳川家康、喜多院に関東天台宗法度を下した。関東天台宗の本山と認められ、東叡山と号す。 | |
| - | + | *1613年:徳川家康から[[日光山]]の管轄を命じられる。 | |
| - | + | *1614年:天海、[[長岡蔵王堂]]別当の[[越後・安禅寺]]を天台宗に改宗させ、[[関山神社]]別当[[宝蔵院]]末とする。これ以前に宝蔵院は天海門下の、俊海により天台宗となる。 | |
| - | + | *1614年:[[金峰山寺]]学頭。のち[[吉野山]]は寛永寺末となる。 | |
| - | + | *1614年:弟子の俊海が[[顕光寺勧修院]]に入る。のち[[戸隠山]]は寛永寺末となる。妙高山中興の俊海と同一人物か。 | |
| + | *1615年(元和1年):天海が後陽成天皇から京都御所の高閣を授かり坂本に移築し、[[滋賀院]]の起源となる。 | ||
| + | *1615年(元和1年)7月9日:徳川家康から[[豊国神社]]破却について諮問を受ける。 | ||
| + | *1616年4月17日:徳川家康死去。[[久能山]]での葬儀を執行。 | ||
| + | *1616年7月26日:大僧正 | ||
| + | *1616年:川越藩主に招かれ、[[箭弓稲荷神社]]別当の福聚寺を創建。 | ||
| + | *1617年:[[日光東照宮]]を創建 | ||
| + | *1619年:徳川義直に招かれ、[[名古屋東照宮]]と別当[[尾張・尊寿院|尊寿院]]を創建。 | ||
| + | *1619年(元和5年):徳川家康の命で、天海が[[四天王寺]]を復興。 | ||
| + | *1621年:日光山本坊([[日光山光明院]])を再建。 | ||
| + | *1621年11月24日:[[和歌山東照宮]]と別当[[天曜寺]]を創建。鎮座の導師を務めた。 | ||
| + | *1622年:徳川秀忠、天海にはかり[[寛永寺]]創建を発願 | ||
| + | *1623年(元和9年)4月:津藩主藤堂高虎が天海に諮って[[上野東照宮]]創建を計画。この時点で小祠を祀ったとも。1627年(寛永4年)9月17日正遷宮。 | ||
| + | *1623年:幸善の請願で[[出羽慈恩寺]]が延暦寺南光坊の末寺となることを許す(のち寛永寺末となる) | ||
| + | *1625年10月:寛永寺本坊、落慶 | ||
| + | *1626年(寛永3年)7月:[[伯耆大山寺]]学頭就任。 | ||
| + | *1626年:津軽藩、慶好院と天海に相談し、[[鎌倉五山]]を模して領内に真言五山の制を設ける。 | ||
| + | *1632年:伯耆大山の大山衆徒中に法度を出す。 | ||
| + | *1632年:[[光前寺]]に法度を下す。翌年にも。 | ||
| + | *1632年:[[仲仙寺]]に法度を下す。 | ||
| + | *1633年:([[仙波東照宮]]を修造) | ||
| + | *1634年:焼失した[[武蔵慈恩寺]]の新しい本尊として南光坊本尊だった千手観音を寄進。 | ||
| + | *1634年:天海、[[日吉東照宮]]を創建。 | ||
| + | *1637年3月:天海版[[大蔵経]]の事業が開始 | ||
| + | *1639年:『東照宮縁起』編纂 | ||
| + | *1640年:[[貫前神社]]別当の光明院に法度を下す。 | ||
| + | *1640年:[[世良田長楽寺]]住職。 まもなく[[世良田東照宮]]も創建する。 | ||
| + | *1641年:天海、[[大光普照寺]]に色衣着用を許可 | ||
| + | *1641年(寛永18年):[[羽黒山]]別当の[[天宥]]、天海に師事。羽黒山は天台宗となる。 | ||
| + | *1642年(寛永19年):[[讃岐・金倉寺]]の復興を命じ、真言宗から天台宗とする。 | ||
| + | *1642年(寛永19年):天海による[[延暦寺根本中堂]]が落慶 | ||
| + | *1643年7月3日:[[善光寺]]に朱印状を下し、寛永寺末とする。 | ||
| + | *1643年1月:[[高麗寺]]雲上院に法度を下し、寛永寺末とする。 | ||
| + | *1643年10月2日:[[寛永寺本覚院]]で死去。108歳。日光山に埋葬。 | ||
| + | *(1652年):天海、[[道成寺]]を天台宗に改宗 | ||
===死後の年譜=== | ===死後の年譜=== | ||
| - | + | *1644年(正保1年)1月:[[寛永寺開山堂]]建立 | |
| + | *1644年:[[延暦寺慈眼堂]]、建立 | ||
| + | *1645年(正保2年)11月17日:朝廷、東照大権現に宮号宣下。 | ||
| + | *1647年(正保4年):[[和歌山東照宮]]に慈眼堂建立。 | ||
| + | *1648年3月:天海版大蔵経完成。4月17日に日光に奉納。 | ||
| + | *1648年4月11日:朝廷、[[大師号]]「慈眼大師」下賜。 | ||
| + | *1649年:[[日光慈眼堂]]落慶 | ||
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*[[天海毛髪塔]]:東京都台東区上野公園。天海の没地。寛永寺本覚院に建てられた。 | *[[天海毛髪塔]]:東京都台東区上野公園。天海の没地。寛永寺本覚院に建てられた。 | ||
| + | ==弟子== | ||
| + | 法灯を継ぐというよりは庇護下に入ることで権威を得ようとした傾向があるように考えられる。 | ||
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| + | *円海(1517-1634):[[立石寺]]38世。 | ||
| + | *虚応円耳(1559-1619):[[京都興聖寺]]開山。当初[[日蓮宗]][[妙満寺]]の日重に師事。[[臨済宗]]に転じた。天海から葉上流天台密教も受法している。 | ||
| + | *豪俔(1587-1654):[[金峰山寺]]初代学頭。寛永寺執当。[[寛永寺双厳院]]に住す。[[寛永寺真如院]]を創建。[[天曜寺]]住職3世。[[鳳来山東照宮]]や[[鳥取東照宮]]の勧請に天海の代理として赴く。 | ||
| + | *円義(1592-1676):[[上野長楽寺]]29。 | ||
| + | *[[天宥]](1593-1674):[[羽黒山]]中興。[[真言宗]]僧侶でもと「宥誉」と称した。天海に接近して天台宗に改宗。[[出羽・寂光寺]]も真言宗から天台宗に改宗させたが、山内の激しい反発を買い争論となって流罪となった。 | ||
| + | *晃海(1603-1663):[[仙岳院]]初代。[[観理院]]1世。天海の弟子。[[寛永寺本覚院]]に住す。最教院と号す。 | ||
| + | *公海(1607-1695):天海の弟子。[[輪王寺宮]]初代。 | ||
| + | *胤海(1613-1689):[[伯耆大山寺]]4世。天海の直弟子。寛永寺学頭。施薬院宗伯の子。左大臣花山院定好の養子。[[梶井宮]]最胤法親王に師事し[[滋賀院]]で剃髪。1626年(寛永3年)天海に師事。寛永寺涼泉院を創建。[[凌雲院]]3世。羽黒山執行。延暦寺薬樹院3世。延暦寺恵心院、首楞厳院も兼務。 | ||
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| + | *俊海():天海の弟子。[[顕光寺勧修院]]48世。[[越後・宝蔵院]] | ||
| + | *倫海():天海の弟子。喜多院28 | ||
| + | *周海():天海の弟子。喜多院29 | ||
| + | *純海():[[真如堂]]25世。施薬院宗雅の子。勧修寺経広の猶子。[[青蓮院宮]]尊純親王の弟子。天海の弟子。[[京都・十乗院]](青蓮院院家)、[[愛宕山大善院]]に住す。正保年間、真如堂に住す。蓮光院、上乗院と号す。 | ||
| + | *天英():[[粉河寺]]御池坊中興。もとは臨済宗の僧侶で、[[東福寺]]で出家。のち改宗して御池坊の住職となる。天海の弟子となり、天英と改名。 | ||
| + | *算海():[[讃岐・金倉寺]]中興。天海の学友という。金倉寺を天台宗に復す。 | ||
| + | *亮算():[[百済寺]]を復興 | ||
[[Category:人物旧跡]] | [[Category:人物旧跡]] | ||
2026年1月18日 (日) 時点における最新版
天海(てんかい)(1536-1643)は天台宗の僧侶。日光山の中興開山。徳川家康のブレーン。慈眼大師。
目次 |
略歴
年譜
- 1536年1月1日:陸奥国会津高田で誕生
- 1546年:会津龍興寺で得度。会津高田稲荷堂の舜海に師事。
- 1549年:比叡山へ修学。実全に師事。のち園城寺や南都でも学ぶ。
- 1571年:織田信長の比叡山焼打で、甲斐国の武田信玄のもとに避難。
- 1577年:会津の蘆名氏に寄寓。
- 1577年:世良田長楽寺で春豪から葉上流の伝授を受けた。
- 1590年:小田原の豊臣秀吉に参陣。
- 1590年:蘆名盛重に招かれ、江戸崎不動院に入る。
- 1599年:喜多院住職。
- 1603年:宗光寺住職
- 1607年:徳川家康、天海に比叡山復興を命じる。延暦寺南光坊に入る。探題奉行となり、論義法要を復興する。
- 1608年:駿府に赴く。
- 1609年:権大僧正。
- 1611年:後陽成天皇から毘沙門堂を賜る(復興は1665年のこととなる)
- 1612年:徳川家康、喜多院に関東天台宗法度を下した。関東天台宗の本山と認められ、東叡山と号す。
- 1613年:徳川家康から日光山の管轄を命じられる。
- 1614年:天海、長岡蔵王堂別当の越後・安禅寺を天台宗に改宗させ、関山神社別当宝蔵院末とする。これ以前に宝蔵院は天海門下の、俊海により天台宗となる。
- 1614年:金峰山寺学頭。のち吉野山は寛永寺末となる。
- 1614年:弟子の俊海が顕光寺勧修院に入る。のち戸隠山は寛永寺末となる。妙高山中興の俊海と同一人物か。
- 1615年(元和1年):天海が後陽成天皇から京都御所の高閣を授かり坂本に移築し、滋賀院の起源となる。
- 1615年(元和1年)7月9日:徳川家康から豊国神社破却について諮問を受ける。
- 1616年4月17日:徳川家康死去。久能山での葬儀を執行。
- 1616年7月26日:大僧正
- 1616年:川越藩主に招かれ、箭弓稲荷神社別当の福聚寺を創建。
- 1617年:日光東照宮を創建
- 1619年:徳川義直に招かれ、名古屋東照宮と別当尊寿院を創建。
- 1619年(元和5年):徳川家康の命で、天海が四天王寺を復興。
- 1621年:日光山本坊(日光山光明院)を再建。
- 1621年11月24日:和歌山東照宮と別当天曜寺を創建。鎮座の導師を務めた。
- 1622年:徳川秀忠、天海にはかり寛永寺創建を発願
- 1623年(元和9年)4月:津藩主藤堂高虎が天海に諮って上野東照宮創建を計画。この時点で小祠を祀ったとも。1627年(寛永4年)9月17日正遷宮。
- 1623年:幸善の請願で出羽慈恩寺が延暦寺南光坊の末寺となることを許す(のち寛永寺末となる)
- 1625年10月:寛永寺本坊、落慶
- 1626年(寛永3年)7月:伯耆大山寺学頭就任。
- 1626年:津軽藩、慶好院と天海に相談し、鎌倉五山を模して領内に真言五山の制を設ける。
- 1632年:伯耆大山の大山衆徒中に法度を出す。
- 1632年:光前寺に法度を下す。翌年にも。
- 1632年:仲仙寺に法度を下す。
- 1633年:(仙波東照宮を修造)
- 1634年:焼失した武蔵慈恩寺の新しい本尊として南光坊本尊だった千手観音を寄進。
- 1634年:天海、日吉東照宮を創建。
- 1637年3月:天海版大蔵経の事業が開始
- 1639年:『東照宮縁起』編纂
- 1640年:貫前神社別当の光明院に法度を下す。
- 1640年:世良田長楽寺住職。 まもなく世良田東照宮も創建する。
- 1641年:天海、大光普照寺に色衣着用を許可
- 1641年(寛永18年):羽黒山別当の天宥、天海に師事。羽黒山は天台宗となる。
- 1642年(寛永19年):讃岐・金倉寺の復興を命じ、真言宗から天台宗とする。
- 1642年(寛永19年):天海による延暦寺根本中堂が落慶
- 1643年7月3日:善光寺に朱印状を下し、寛永寺末とする。
- 1643年1月:高麗寺雲上院に法度を下し、寛永寺末とする。
- 1643年10月2日:寛永寺本覚院で死去。108歳。日光山に埋葬。
- (1652年):天海、道成寺を天台宗に改宗
死後の年譜
- 1644年(正保1年)1月:寛永寺開山堂建立
- 1644年:延暦寺慈眼堂、建立
- 1645年(正保2年)11月17日:朝廷、東照大権現に宮号宣下。
- 1647年(正保4年):和歌山東照宮に慈眼堂建立。
- 1648年3月:天海版大蔵経完成。4月17日に日光に奉納。
- 1648年4月11日:朝廷、大師号「慈眼大師」下賜。
- 1649年:日光慈眼堂落慶
一覧
- 会津・清龍寺:福島県大沼郡会津美里町。文殊信仰。両親が祈願
- 護法石:福島県大沼郡会津美里町。隣接して「慈眼大師御誕生地」碑がある。
- 会津・龍興寺:福島県大沼郡会津美里町。得度の寺。両親の墓もある。
- 会津稲荷堂:福島県会津若松市。黒川城(鶴ケ城)にあった。別当を務める。
- 江戸崎不動院:茨城県稲敷市江戸崎。住職を務める。
- 喜多院:埼玉県川越市。
- 日光山:栃木県日光市。
- 延暦寺南光坊:滋賀県大津市の比叡山。
- 金峰山寺:奈良県吉野郡吉野町の大峰山。寛永寺直轄とした天海を中興とする。
霊廟
弟子
法灯を継ぐというよりは庇護下に入ることで権威を得ようとした傾向があるように考えられる。
- 円海(1517-1634):立石寺38世。
- 虚応円耳(1559-1619):京都興聖寺開山。当初日蓮宗妙満寺の日重に師事。臨済宗に転じた。天海から葉上流天台密教も受法している。
- 豪俔(1587-1654):金峰山寺初代学頭。寛永寺執当。寛永寺双厳院に住す。寛永寺真如院を創建。天曜寺住職3世。鳳来山東照宮や鳥取東照宮の勧請に天海の代理として赴く。
- 円義(1592-1676):上野長楽寺29。
- 天宥(1593-1674):羽黒山中興。真言宗僧侶でもと「宥誉」と称した。天海に接近して天台宗に改宗。出羽・寂光寺も真言宗から天台宗に改宗させたが、山内の激しい反発を買い争論となって流罪となった。
- 晃海(1603-1663):仙岳院初代。観理院1世。天海の弟子。寛永寺本覚院に住す。最教院と号す。
- 公海(1607-1695):天海の弟子。輪王寺宮初代。
- 胤海(1613-1689):伯耆大山寺4世。天海の直弟子。寛永寺学頭。施薬院宗伯の子。左大臣花山院定好の養子。梶井宮最胤法親王に師事し滋賀院で剃髪。1626年(寛永3年)天海に師事。寛永寺涼泉院を創建。凌雲院3世。羽黒山執行。延暦寺薬樹院3世。延暦寺恵心院、首楞厳院も兼務。