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都城護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年7月30日 (水)

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'''都城護国神社'''は宮崎県都城市にあった[[招魂社]]。跡地不詳。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。'''宮丸招魂社'''、'''都城招魂社'''。
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[[ファイル:都城護国神社-06.jpg|thumb|500px|「招魂社のケヤキ」と招魂社跡とみられる場所にある慰霊碑]]
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'''都城護国神社'''(みやこのじょう・ごこく・じんじゃ)は宮崎県都城市小松原町にあった[[招魂社]]。[[神柱宮]]の西側にあった。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。'''宮丸招魂社'''、'''都城招魂社'''。
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1869年(明治2年)2月創建。1956年(昭和31年)廃絶。
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*1869年(明治2年)2月、島津久寛ら4人が創建。戊辰戦争で戦死した肥田景直ら12柱を祀った。
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*明治7年10月、官祭となった。西南戦争の戦死者の古垣俊雄ら21柱を合祀した。(宮崎県案内記[https://dl.ndl.go.jp/pid/766792/1/87])
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*昭和年間:宮崎県の指定護国神社を都城市に誘致しようとする運動もあったが功を奏さず、[[宮崎県護国神社]]は宮崎市に決まった(創建は戦後)。
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*1956年(昭和31年)10月2日、宗教法人を解散し、慰霊塔となった(『宮崎県政八十年史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3030426/1/510])
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「招魂社のケヤキ」が残る。
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「都城空襲犠牲者追悼碑」など多数の慰霊碑がある。
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*『靖国神社誌』でも12柱[https://dl.ndl.go.jp/pid/816146/1/26]。
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*『宮崎県五十年史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1236394/1/39]
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*1肥田景直
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*2浜田義秀
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==資料==
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*平部キョウ南1929『日向地誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1876602/1/776]
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*『新都城』「清露二役記念碑文」[https://dl.ndl.go.jp/pid/956083/1/39]
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*明治23年宮崎県訓令78号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[https://dl.ndl.go.jp/pid/788574/1/628]
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*明治25年宮崎県訓令147号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[https://dl.ndl.go.jp/pid/788573/1/222]
[[Category:宮崎県]]
[[Category:宮崎県]]

2025年7月30日 (水) 時点における最新版

「招魂社のケヤキ」と招魂社跡とみられる場所にある慰霊碑

都城護国神社(みやこのじょう・ごこく・じんじゃ)は宮崎県都城市小松原町にあった招魂社神柱宮の西側にあった。官祭招魂社指定外護国神社宮丸招魂社都城招魂社

  • 1869年(明治2年)2月、島津久寛ら4人が創建。戊辰戦争で戦死した肥田景直ら12柱を祀った。
  • 明治7年10月、官祭となった。西南戦争の戦死者の古垣俊雄ら21柱を合祀した。(宮崎県案内記[1]
  • 昭和年間:宮崎県の指定護国神社を都城市に誘致しようとする運動もあったが功を奏さず、宮崎県護国神社は宮崎市に決まった(創建は戦後)。
  • 1956年(昭和31年)10月2日、宗教法人を解散し、慰霊塔となった(『宮崎県政八十年史』[2]

「招魂社のケヤキ」が残る。 「都城空襲犠牲者追悼碑」など多数の慰霊碑がある。

祭神

  • 『靖国神社誌』でも12柱[3]
  • 『宮崎県五十年史』[4]
  • 1肥田景直
  • 2浜田義秀
  • 3江口盛吉
  • 4瀬戸山景明
  • 5上村長信
  • 6財部盛利
  • 7福留経清
  • 8向井盛常
  • 9丹山長清
  • 10武田義順
  • 11財部実行
  • 12富松兼孝


画像

資料

  • 平部キョウ南1929『日向地誌』[5]
  • 『新都城』「清露二役記念碑文」[6]
  • 明治23年宮崎県訓令78号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[7]
  • 明治25年宮崎県訓令147号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[8]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E9%83%BD%E5%9F%8E%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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