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仁徳天皇旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月28日 (月)
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+ | 皇宮が置かれた跡地の伝承地に神社が創建されている。もっとも代表的なのは、宮名をそのまま冠した[[高津宮]](こうづのみや)である。ただし、現在地は[[豊臣秀吉]]の大阪城築城によって遷座したものと言われ、もともとは大阪城のあたりにあったと言われている。ほかに高津宮皇宮跡に関連する神社としては、[[東高津宮]]、[[北高津宮]]、[[新高津宮]]がある。ただし、これらと宮跡との具体的な関係はよく分からない。また[[反正天皇]]が河内の[[多治比柴垣宮]]を皇宮としたときにその守護神として、仁徳天皇を祀ったとされ、のち遷座して今の[[難波神社]]となったという。1899年(明治32年)には高津宮と難波神社の合同で仁徳天皇1500年祭がなされている。 | ||
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2018年5月28日 (月) 時点における最新版
仁徳天皇旧跡 |
目次 |
概要
仁徳天皇(にんとく・てんのう)は第16代の天皇である。伝説的事歴を持つ応神天皇の皇子である。
仁徳天皇は八幡神とされる応神天皇の皇子であることから、八幡信仰においては、八幡神の若宮(御子神)として信仰され、若宮八幡宮の祭神となっている。しかし、八幡信仰以外においても、様々な形で神社に祀られている。
その事績から、まず大阪の守護神あるいは皇宮の守護神としての信仰が目立ち、また氷室の守護神、あるいは佐々木源氏の守護神として信仰されている。
大阪の守護神としては、仁徳天皇は大阪に都を置き、大阪地域の開発を行なっていることに由来するものである。難波の堀江や茨田堤の築造などが『日本書紀』には記されている。
皇宮が置かれた跡地の伝承地に神社が創建されている。もっとも代表的なのは、宮名をそのまま冠した高津宮(こうづのみや)である。ただし、現在地は豊臣秀吉の大阪城築城によって遷座したものと言われ、もともとは大阪城のあたりにあったと言われている。ほかに高津宮皇宮跡に関連する神社としては、東高津宮、北高津宮、新高津宮がある。ただし、これらと宮跡との具体的な関係はよく分からない。また反正天皇が河内の多治比柴垣宮を皇宮としたときにその守護神として、仁徳天皇を祀ったとされ、のち遷座して今の難波神社となったという。1899年(明治32年)には高津宮と難波神社の合同で仁徳天皇1500年祭がなされている。
皇宮の守護神であることと関連して、特筆すべきこととして、京都平野神社の祭神という説がある。平野神社は桓武天皇が外戚の祖神を都の守護神として創建したものと言われ、皇太子の守護神とされたが、この祭神が仁徳天皇という説があった。ただし現在は採用されていない。 この平野神社はもと平城京に祀られており、また長岡京にも祀られたという伝承があり、さらに遡って、天智天皇が大津京を開いたとき、藤原鎌足が守護神として大津に祀ったという伝承まである。難波神社もそうだが、いずれも皇宮の守護神として仁徳天皇が信仰された例である。
また氷室の守護神に関しては、『日本書紀』によると、仁徳天皇即位62年、異母兄の額田大中彦皇子が都祁(天理市)で洞窟を発見し、闘鶏稲置大山主に尋ねたところ、氷室ということが分かったので、毎年氷を献上させたという。これが氷室の起源とされる。この事績に基づき、仁徳天皇は氷室の守護神とされ、都祁氷室神社のほか、奈良氷室神社、神戸氷室神社に祀られる。
仁徳天皇は、諱を大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)というが、この名前を後世に伝えるための御名代として雀部氏が設置されたという[1]。雀部氏はこの縁により、仁徳天皇を神に祭ったという。これが沙沙貴神社であり、のち佐々木源氏の氏神となった。
旧跡一覧
名称 | 所在地 | 国郡 | 概要 | 社格など | |
---|---|---|---|---|---|
旧跡 | 宇治上神社 | 京都府宇治市宇治山田1 | 山城国宇治郡 | 菟道稚郎子の旧跡。仁徳天皇旧跡。菟道稚郎子はこの地で自害し、仁徳天皇に皇位を譲った。宇治上神社には仁徳天皇も合祀されている。 | 式内社・村社 |
高津宮 | 高津宮跡地(大阪城) | 大阪府大阪市中央区大阪城1-1 | 摂津国西成郡 | 難波高津宮旧跡伝承地。ここに皇宮があったとされる。高津宮はこの宮跡に建てられていたが、大阪城築城により、現在地に遷座したとされている。 | |
高津宮 | 高津宮跡碑 | 大阪府大阪市天王寺区餌差町10-47 | 摂津国西成郡 | 難波高津宮旧跡考証地。1899年(明治32年)11月3日、大阪府が仁徳天皇1500年祭を高津宮と難波神社で行った際に「高津宮址」碑を建立した。1903年(明治36年)4月、高津宮に寄付されて高津宮の境外所有地に編入された。1950年(昭和25年)区画整備のため、40メートルほど北東に移転した。(『大阪府全志』、大阪府立高津高等学校ウェブサイト) | |
高津宮 | 高津宮 | 大阪府大阪市中央区高津1-1-29 | 摂津国西成郡 | 難波高津宮の旧跡に関連する神社。もともと難波高津宮の旧跡とされる現在の大阪城の辺りに鎮座していたが、大阪城築城による現在地へ遷座した。仁徳天皇ほか応神天皇・仲哀天皇・履中天皇などを祀る。 | 府社・別表神社 |
高津宮 | 東高津宮 | 大阪府大阪市天王寺区東高津町4-8 | 摂津国西成郡 | 難波高津宮の旧跡に関連する神社。祭神は、「仁徳天皇・磐之媛命」である。かつては「仁徳天皇社」と呼ばれていたらしい。村社。元高津ともいう。(『大阪府全志』) | 村社 |
高津宮 | 北高津宮 (合祀) | 大阪府大阪市天王寺区餌差町 | 摂津国西成郡 | 難波高津宮の旧跡に関連する神社。1907年(明治40年)12月9日、高津宮に合祀。祭神は「仁徳天皇」であった。 | 村社 |
高津宮 | 新高津宮(合祀) | 大阪府大阪市中央区 | 摂津国西成郡 | 難波高津宮の旧跡に関連する神社。1907年(明治40年)11月28日に大正区八阪神社に合祀。祭神は「仁徳天皇」であった。(『大阪府全志』) | 村社 |
筒城宮 | 朱智神社 | 京都府京田辺市天王高ケ峰25 | 山城国綴喜郡 | 筒城宮旧跡にある神社。筒城宮は皇后磐之媛の行在所。仁徳天皇も行幸。昭和前期、三宅安兵衛によって朱智神社がその跡地とされて石碑が建立された。 | 郷社 |
陵墓 | 仁徳天皇陵 大仙伝承地 | 大阪府堺市堺区大仙町 | 和泉国大鳥郡 | 仁徳天皇陵の伝承地。大仙古墳。 | 天皇陵 |
霊廟 | 宮中三殿 皇霊殿 | 東京都千代田区千代田 | 宮中三殿の一殿。歴代天皇皇族を祀る神殿。 | ||
平野神社 | 京都府京都市北区平野宮本町1 | 山城国葛野郡 | 仁徳天皇祭神説があった神社。皇太子の守護神。土師氏と和氏の氏神を合祀する神社と考えられているが、なぜか中世から近世までは仁徳天皇を祭神とする説が広まっていた。 | 式内社・名神大社・二十二社・官幣大社・別表神社 | |
樫本神社 | 京都市西京区大原野南春日町 | 山城国乙訓郡 | 仁徳天皇を祀る神社。一説には、長岡京遷都のときに大和から遷座してきた平野神社が一時的に祭られた場所という。 | 村社 | |
大津平野神社 | 滋賀県大津市松本1丁目8-25 | 近江国滋賀郡 | 仁徳天皇を祀る神社。668年(天智7年)、大津京の守護神として仁徳天皇を祭って藤原鎌足によって創建されたという。蹴鞠の守護神である精大明神(猿田彦)を1573年(天正1年)に合祀したという。西洞院家が管領したというが、京都平野神社も西洞院が伝奏であった。(『滋賀県神社誌』) | ||
沙沙貴神社 | 滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1 | 近江国蒲生郡 | 仁徳天皇を祀る神社。仁徳天皇の御名代であった雀部氏が仁徳天皇を祀ったとされる。佐々木源氏の氏神。 | 式内社・県社 | |
難波神社 | 大阪府大阪市中央区博労町4丁目1-3 | 摂津国西成郡 | 仁徳天皇を祀る神社。反正天皇多治比柴垣宮の遷都に際して創建された。のち摂津国平野郷に遷座し、大阪城の築城に際して現在地に遷座したという。平野大明神と称していた。(『大阪府全志』、『大阪府史蹟名勝天然紀念物』) | 府社 | |
難波神社 行宮 | 大阪府大阪市中央区南堀江 | 摂津国西成郡 | 難波神社の行宮。祭神は、「仁徳天皇・五十狭命」である。もと神田にあったが1699年(元禄12年)1月に、区画整備のため現在地に替地となった。1907年(明治40年)1月24日、境外末社となる。同年8月19日、無格社堀江神社(五十狭命)を合祀した。(『大阪府全志』) | ||
呉服神社 | 大阪府池田市室町7-4 | 摂津国豊島郡 | 仁徳天皇を祀る神社。呉服大明神と仁徳天皇を祀る。応神天皇代に渡来した織女を祀った神社である。 | 郷社 | |
穴織宮伊居太神社 | 大阪府池田市綾羽2-4-5 | 摂津国豊島郡 | 仁徳天皇を祀る神社。穴織大明神と応神天皇、仁徳天皇を祀る。式内「伊居太神社」の論社。 | 郷社 | |
早水神社 | 宮崎県都城市早水町 | 日向国諸県郡 | 仁徳天皇妃の髪長媛の生誕地にある神社。「応神天皇、髪長媛、諸県君牛諸井」を祀る(宮崎県史蹟調査)。仁徳天皇を祀る説があるが誤りか。村社。近くの乙戸神社は髪長媛の弟を祀る。 | 村社 | |
氷室 | 都祁氷室神社 | 奈良県天理市福住町浄土184 | 大和国山辺郡 | 都祁氷室の守護神。闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯命(仁徳天皇)、額田大中彦命であるを祭神とする。『日本書紀』によると、即位62年、異母兄の額田大中彦皇子が都祁(天理市)で洞窟を発見し、闘鶏稲置大山主に尋ねたところ、氷室ということが分かったので、毎年氷を献上させたという。これが氷室の起源とされる。都祁の氷室守護神として允恭天皇の時代に創建されたという。『延喜式』に記載するところの主水司が祭祀する神の一つとされる。 | 郷社 |
氷室 | 奈良氷室神社 | 奈良県奈良市春日野町1-4 | 大和国添上郡 | 春日氷室の守護神。祭神は、闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯命(仁徳天皇)、額田大中彦命である(ウェブサイト)。平城京が造営されたとき、710年(和銅3年)7月22日に、水谷川のほとり(現在の料亭「月日亭」のあたり)に氷室を設け、神殿を創建したのが創始とされる。この氷室は春日氷室、御蓋氷室などと呼ばれ、毎年夏期に氷が献上された。のち平安遷都後の860年(貞観2年)2月1日に現在地に遷座したという。仁徳天皇、額田大中彦命を合祀したのもこの時という。(ウェブサイト、『大和大観』73頁) | |
氷室 | 神戸氷室神社 | 神戸市兵庫区氷室町2-7 | 摂津国八部郡 | 氷室の守護神。仁徳天皇などを祀る。社伝によると、『日本書紀』に記す氷室は天理市ではなく当地だという。 |
参考文献
脚注
- ↑ 記紀には記述はない。