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枕崎護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''枕崎護国神社'''は鹿児島県枕崎市鹿篭麓町にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。枕崎南方神社内。'''東南方招魂社'''、'''枕崎招魂社'''、'''東南方護国神社'''。[[鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓]]も参照。
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'''枕崎護国神社'''は鹿児島県枕崎市鹿篭麓町(薩摩国川辺郡)にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。枕崎南方神社内。'''東南方招魂社'''、'''枕崎招魂社'''、'''東南方護国神社'''。[[鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓]]も参照。
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近くに薩軍戦没者を祭る招魂塚もある。
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==祭神==
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*有川嘉吉郎貞直:1868年1月5日死去。墓所は京都[[相国寺官修墳墓]]。
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*鮫島四郎兵衛宗武:1868年10月17日死去。横浜病院。京都[[鹿児島藩招魂社]]祭神。墓所は東京[[大円寺官修墳墓]]。
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*上竹原正次郎:1868年7月13日死去。岩城平。上竹正次郎。
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==歴史==
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*1869年(明治2年)1月:今給彦七らが創建。現在の桜山小学校の校門右手あたり(枕崎市誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/13279723/1/145])。もしくは講堂のあたりとも(枕崎市史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9769085/1/202])。
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*明治16年10月30日:官祭招魂社となる(鹿児島県史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1239981/1/286])。
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*明治32年:暴風で社殿倒壊。宝殿のみ残る。[https://dl.ndl.go.jp/pid/13265098/1/228]
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*大正4年:現在地に遷座。小学校拡張敷地のため。大正5年とも[https://dl.ndl.go.jp/pid/13265098/1/228]。802円97銭。
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*昭和14年4月1日:枕崎護国神社と改称。
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==資料==
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*1990枕崎市誌下巻[https://dl.ndl.go.jp/pid/13265098/1/228]
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*1969枕崎市史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9769085/1/584?keyword=%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE]
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[[Category:鹿児島県]]
[[Category:鹿児島県]]

2025年8月14日 (木) 時点における版

枕崎護国神社は鹿児島県枕崎市鹿篭麓町(薩摩国川辺郡)にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社。枕崎南方神社内。東南方招魂社枕崎招魂社東南方護国神社鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。

近くに薩軍戦没者を祭る招魂塚もある。


祭神

歴史

  • 1869年(明治2年)1月:今給彦七らが創建。現在の桜山小学校の校門右手あたり(枕崎市誌[1])。もしくは講堂のあたりとも(枕崎市史[2])。
  • 明治16年10月30日:官祭招魂社となる(鹿児島県史[3])。
  • 明治32年:暴風で社殿倒壊。宝殿のみ残る。[4]
  • 大正4年:現在地に遷座。小学校拡張敷地のため。大正5年とも[5]。802円97銭。
  • 昭和14年4月1日:枕崎護国神社と改称。

資料

  • 1990枕崎市誌下巻[6]
  • 1969枕崎市史[7]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9E%95%E5%B4%8E%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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