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宝慶寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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寂円は、宋の[[天童寺]]で道元と共に[[如浄]]に学ぶ。安貞年間、道元を慕って来日。寂円は弘長2年(1261)、この地にやってきて、石上坐禅18年続ける。これに領主藤原氏が帰依して弘安元年(1278)寺を創建した。[[永平寺]]で争論が起こり、衰退すると、宝慶寺2世の義雲が永平寺5世として入寺し、復興した。 | 寂円は、宋の[[天童寺]]で道元と共に[[如浄]]に学ぶ。安貞年間、道元を慕って来日。寂円は弘長2年(1261)、この地にやってきて、石上坐禅18年続ける。これに領主藤原氏が帰依して弘安元年(1278)寺を創建した。[[永平寺]]で争論が起こり、衰退すると、宝慶寺2世の義雲が永平寺5世として入寺し、復興した。 | ||
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2018年5月31日 (木) 時点における版
宝慶寺(ほうきょうじ)は、福井県大野市にある曹洞宗寺院。永平寺四門首の一つ。道元の兄弟弟子の寂円(1207-1299)が創建。宋の天童寺を模したという。「日本曹洞第二道場」を称す。山号は薦福山。
寂円は、宋の天童寺で道元と共に如浄に学ぶ。安貞年間、道元を慕って来日。寂円は弘長2年(1261)、この地にやってきて、石上坐禅18年続ける。これに領主藤原氏が帰依して弘安元年(1278)寺を創建した。永平寺で争論が起こり、衰退すると、宝慶寺2世の義雲が永平寺5世として入寺し、復興した。
組織
住職
岳山史論[1]