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照国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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1882年(明治15年)1月25日、社殿再興して正遷座祭。 | 1882年(明治15年)1月25日、社殿再興して正遷座祭。 | ||
1882年(明治15年)12月15日、[[豊栄神社]]と[[常磐神社]]と共に別格官幣社に昇格した。 | 1882年(明治15年)12月15日、[[豊栄神社]]と[[常磐神社]]と共に別格官幣社に昇格した。 | ||
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1898年(明治31年)9月1日、社殿改築奉告祭。 | 1898年(明治31年)9月1日、社殿改築奉告祭。 | ||
2020年3月12日 (木) 時点における版
| 照国神社 てるくに じんじゃ | |
| 概要 | 明治維新の功臣を奉斎する神社。 |
| 奉斎 | 贈正一位源斉彬 (土岐昌訓論文) |
| 所在地 | 鹿児島県鹿児島市照国町19-35 |
| 所在地(旧国郡) | |
| 所属(現在) | 神社本庁 |
| 格式など | 別格官幣社・別表神社 |
| 関連記事 | 領主奉斎神社 |
目次 |
概要
照国神社(てるくに・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にある、明治維新の功績者とされる鹿児島藩主島津斉彬を祀る霊社。領主奉斎神社。別格官幣社。島津家も参照。斉彬の墓は北西2.1kmの島津家福昌寺墓地にある。かつて隣地に鹿児島招魂社があり、現在もその旧社殿が鹿児島県護国神社頓宮として残る。
歴史
島津斉彬は1858年(安政5年)7月16日に急死。朝廷は1862年(文久2年)従三位権中納言を贈位贈官。この時は幕府を通じて達せられた。1863年(文久3年)5月11日、照国大明神の神号を贈った。これは松方正義を使者として直接近衛家を通じて朝廷に申請。同行した諏訪神社祠官井上信濃守が神号を奉じて帰郷。鹿児島城本丸正殿に奉安。1864年(元治1年)12月19日、天台宗南泉院境内に社殿を造営し正遷座祭を執り行った。同時に島津久光と島津忠義が神領100石を寄進した。
南泉院は薩摩・大隅・日向の天台宗触頭で、鹿児島東照宮の別当だった。幕府と関係が深いことが敬遠され、常盤の千眼寺近くに移転。1869年(明治2年)の廃仏毀釈で廃絶した。
1869年(明治2年)10月26日、鹿児島招魂社を照国神社の横に遷座。 1869年(明治2年)11月22日、従一位贈位。 1870年(明治3年)12月22日、島津久光召喚のために鹿児島を訪れた勅使岩倉具視が剣1振りを奉納した。 1872年(明治5年)6月20日、明治天皇鹿児島行幸。宮内卿徳大寺実則が奉幣。 1873年(明治6年)、県社に列格。 1877年(明治10年)9月、西南戦争で焼失。明治天皇奉納の剣も焼失したため、1880年(明治13年)2月、明治天皇は再び剣を奉納した。 1882年(明治15年)1月25日、社殿再興して正遷座祭。 1882年(明治15年)12月15日、豊栄神社と常磐神社と共に別格官幣社に昇格した。 1883年(明治16年)7月3日、例祭日を10月28日と定めた(太陰暦9月28日から太陽暦に変更)。 1898年(明治31年)9月1日、社殿改築奉告祭。
1901年(明治34年)5月16日、正一位贈位。県知事千頭清臣が策命使として墓前に奉告した。 同年12月10日、社殿改築のため地鎮祭。1904年(明治37年)社殿竣工。1909年(明治42年)4月28日に正遷座祭。 1917年(大正6年)11月22日、祭神の銅像完成。 1920年(大正9年)3月26日、皇太子時代の昭和天皇が参拝。 1922年(大正11年)5月9日、イギリス皇太子奉迎式を実施。 1922年(大正11年)5月11日、屋根葺き替えのため仮遷座祭。8月21日正遷座祭。 1928年(昭和3年)3月、照国神社奉賛会設立。 1929年(昭和4年)7月16日、祭神の正忌日を頌徳祭と定め、中祭とする。 1932年(昭和7年)2月17日、本殿一部屋根修理のため仮遷座。3月1日に正遷座祭。 1932年(昭和7年)12月15日、昇格50年奉祝祭。 1945年(昭和20年)8月、戦災で焼失。1958年(昭和33年)に再建した。
1948年(昭和23年)11月、鹿児島県護国神社が隣地から草牟田に遷座したが、隣地にも旧社殿が頓宮として残された。
(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』、『鹿児島地誌 郷土教育資料』[1])
境内
組織
宮司
- 島津忠欽:男爵
- 島津珍彦
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』