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祠宇

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''祠宇'''(しう)は戦前の[[教派神道]]制度において認められた施設の一種。
'''祠宇'''(しう)は戦前の[[教派神道]]制度において認められた施設の一種。
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|+教派神道・祠宇一覧
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|[[神道大教]]
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|東雲祠
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|[[札幌祖霊神社]]
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|北海道札幌市中央区南5条西8丁目1番地
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|「神社明細帳」に記載あり(1997『北海道神社明細帳の分析』)。のちに<神社>化したか。北海道神社庁HPに記載あり。『新札幌市史』第2巻に記述。
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|神道大教
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|大三輪祠
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|奈良県桜井市三輪1198
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|「祠宇について」に所載の史料には「大三和祠」とある。
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|([[丸山教]])
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|神奈川県川崎市多摩区登戸1274
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|丸山教本院。1891年(明治24年)に「信者が百二十万戸に達した記念に」神奈川県の許可を得て、富士吉田から本院に移転した(佐々木千代松『民衆宗教の源流』247)。
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|[[神道修成派]]
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|金光祠
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|北海道余市郡仁木町
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|2000『新仁木町史』282・917に記述。
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|神道修成派
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|都田祠
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|静岡県浜松市北区都田町
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|現存。1940『都田村郷土誌』42-43頁によると修成派傘下の御嶽講が建てたものだという。都田郷土史研究会による郷土文化という雑誌がある。
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|神道修成派
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|神道修成派
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|印幡祠
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|(千葉県内)
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|印旛沼周辺か。
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|神道修成派
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|本郷祠
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|[[本郷祠]]
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|1東京都文京区西片2-18-18<現・日本基督教団西片町教会><br>2東京都杉並区松庵3-15-2
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|修成派の本部。『本郷区史』1194-1195頁に記述あり。俗に「御嶽神社」と呼ばれていたという。
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|神道修成派
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|清水祠
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|(現存不明)
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|(徳島県清水<現・三好市三野町>?)
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|神道修成派
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|上野祠
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|[[黒髪神社]]
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|群馬県北群馬郡榛東村広馬場3615(旧・相馬村)
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|「神社明細帳」には記載なし。1988『榛東村誌』1062-1064頁に記述あり。境内に[[有栖川神社]]がある。1995『渋川市誌』222
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|神道修成派
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|鏑木祠
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|現存
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|千葉県旭市鏑木1984番地2
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|神道修成派
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|大元祠
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|[[大元祠]]
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|1埼玉県さいたま市中央区(旧・与野市)<br>2静岡県磐田市豊岡<br>3静岡県磐田市敷地938-17<br>4静岡県磐田市敷地1464-1
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|本部が与野の大元祠に移転したときの文書が1981『与野市史』近代史料編にあり。現在の御嶽神社のところにあった可能性があるが不詳。「おんたけさん敬神大教会」のホームページによると、1953年(昭和28年)4月に静岡県磐田市豊岡に遷座。1976年(昭和51年)に磐田市敷地に遷座。現在の「大元祠山下祠」だと思われる。1989年(平成1年)に現在の「大元祠山上祠」に遷座か。
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|神道修成派
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|中宝祠
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|(現存?)
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|長野県長野市戸隠宝光社2332
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|江戸時代までは、宝光院谷に所属していた「広善院」(徳善院?)。戸隠神社宿坊の越志家。現在の「越志旅館」。『長野県史』近代史料編10巻572頁に「神道修成派中宝祠」の記述がある。472頁に1883年(明治16年)9月の管長宛の祠宇建設上申書がある。569にも。『戸隠-総合学術調査報告』161頁によると、1884年(明治17年)ごろの神道修成派に関する文書(「越志家所蔵文書」15・23~37)数点が残っているという。
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|[[神宮教]]
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|大神宮祠
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|[[伊勢祖霊社]]
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|三重県伊勢市岡本1-17-9
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|「神宮教本院」にあった。『大神神社史料』第7巻、709ページに神道神宮教管長田中頼庸から神宮教各本部に送られた、神宮教本院に「大神宮祠」設置を知らせる1883年(明治16年)3月10日付の文書が収録されている。現在の伊勢祖霊社だと思われる。
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|神宮教
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|大神宮祠
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|[[東京大神宮]]
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|東京都千代田区富士見
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|「神宮教教院」にあった。『東京大神宮沿革史』52に「神宮教祠宇」とある。
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|[[大社教]]
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|大社教本祠
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|[[出雲大社教神楽殿]]
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|島根県出雲市大社町杵築東
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|祭神は大国主大神を主神として、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神、天照大御神、産土大神を祀る(1924(大正13)『出雲大社並大社教本院参拝案内』)
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|大社教
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|大社教東京分祠
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|[[出雲大社東京分祠]]
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|1882年(明治15年)4月4日に[[神田神社]]から移転。1883年(明治16年)5月11日、東京分祠創建(『千家尊福公』)
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|[[扶桑教]]
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|扶桑教本祠
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|1東京都港区浜松町2丁目(東京府東京市芝区神明町)<br>2東京都渋谷区桜丘町26-1<現・セルリアンタワー>(渋谷町大和田386)<br>3松沢<桜上水近辺><br>4東京都世田谷区松原1丁目7-20
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|平野栄次によると、宍野半は、1875年(明治8年)1月に芝神明町に拠点を設置。1876年(明治9年)2月に祠宇が完成しているという(祠宇の語法は遡及的に用いているものか。)。計画書によると、同年3月23日、富士山の山麓須走口にて、神鏡に「天照大神」を鎮祭し、つづいて大宮浅間神社にて「造化神」を合祀することを奏上。27日には北口にて「木花佐久夜毘売命」を鎮祭した。同年4月3日に帰京した。1914年(大正3年)『渋谷町誌』92には1890年(明治23年)祠を創建とあるが、このとき「祠宇」になったということだろうか。1898年(明治31年)に芝神明町より移転した(1914年(大正3年)『渋谷町誌』92)。
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|[[大成教]]
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|1(小石川区原町44番地)<br>2(台東区?)
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|大成教
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|1北九州市小倉<br>2東京都港区西新橋2丁目34(東京市芝区田村町5)
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|[[蓮門教]]の祠宇。教団資料には「大成教蓮門教事妙法本祠」とある。当初、小倉に置かれたが、1889年(明治22年)に東京に遷した(奥武則1988、168参照。)。1889年(明治22年)10月19日ともいい(100ページ)、29日ともいう(101ページ、大成教資料)。愛宕真福寺の目の前にあった。
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|大成教
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|[[事妙法分祠]]
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|(廃絶?)
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|北海道根室市常磐町(「根室郡常磐町五丁目」)
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|蓮門教の祠宇。大成教資料によると、1895年(明治28年)6月25日に設立されたとあるが、1892年(明治25年)5月の蓮門教機関誌にも既に記されている(奥武則1988、102)。根室に置かれた理由は明らかでないが、島村みつの孫、島村仙修が小樽に住んでいたことと関係があるのではないかと推測されている(同104)がそれにしては遠すぎる。
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|[[神習教]]
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|神習教本祠
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|[[桜神宮]]
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|1東京都千代田区神田小川町2(東京府東京市神田区小川町1)<br>2東京都千代田区神保町3(東京府東京市神田区今川小路2-5)<br>3東京都世田谷区新町3丁目21-3
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|1883年(明治16年)9月に祠宇創建(教派神道の形成284)。御嶽信仰の祭神もこのとき、[[王滝御嶽神社]]より分霊されたようである(『長野県史 近代史料編10』473ページ)。小泉墨城編 1905年(明治38年)『敷島美観』38コマに今川小路時代の写真あり
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|}
[[category:系譜記事]]
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2022年7月22日 (金) 時点における版

祠宇(しう)は戦前の教派神道制度において認められた施設の一種。

教派神道・祠宇一覧
教団 名称 現在命 所在地 備考
1 神道大教 東雲祠 札幌祖霊神社 北海道札幌市中央区南5条西8丁目1番地 「神社明細帳」に記載あり(1997『北海道神社明細帳の分析』)。のちに<神社>化したか。北海道神社庁HPに記載あり。『新札幌市史』第2巻に記述。
2 神道大教 大三輪祠 大神教か) 奈良県桜井市三輪1198 「祠宇について」に所載の史料には「大三和祠」とある。
3 神道大教 丸山泰祠 丸山教神奈川県川崎市多摩区登戸1274 丸山教本院。1891年(明治24年)に「信者が百二十万戸に達した記念に」神奈川県の許可を得て、富士吉田から本院に移転した(佐々木千代松『民衆宗教の源流』247)。
4 神道修成派 金光祠 (現存不明) 北海道余市郡仁木町 2000『新仁木町史』282・917に記述。
5 神道修成派 都田祠 (都田御岳神社) 静岡県浜松市北区都田町 現存。1940『都田村郷土誌』42-43頁によると修成派傘下の御嶽講が建てたものだという。都田郷土史研究会による郷土文化という雑誌がある。
6 神道修成派 金幣祠 (現存不明) (千葉県内)
7 神道修成派 印幡祠 (現存不明) (千葉県内) 印旛沼周辺か。
8 神道修成派 本郷祠 本郷祠 1東京都文京区西片2-18-18<現・日本基督教団西片町教会>
2東京都杉並区松庵3-15-2
修成派の本部。『本郷区史』1194-1195頁に記述あり。俗に「御嶽神社」と呼ばれていたという。
9 神道修成派 清水祠 (現存不明) (徳島県清水<現・三好市三野町>?)
10 神道修成派 上野祠 黒髪神社 群馬県北群馬郡榛東村広馬場3615(旧・相馬村) 「神社明細帳」には記載なし。1988『榛東村誌』1062-1064頁に記述あり。境内に有栖川神社がある。1995『渋川市誌』222
11 神道修成派 鏑木祠 現存 千葉県旭市鏑木1984番地2
12 神道修成派 大元祠 大元祠 1埼玉県さいたま市中央区(旧・与野市)
2静岡県磐田市豊岡
3静岡県磐田市敷地938-17
4静岡県磐田市敷地1464-1
本部が与野の大元祠に移転したときの文書が1981『与野市史』近代史料編にあり。現在の御嶽神社のところにあった可能性があるが不詳。「おんたけさん敬神大教会」のホームページによると、1953年(昭和28年)4月に静岡県磐田市豊岡に遷座。1976年(昭和51年)に磐田市敷地に遷座。現在の「大元祠山下祠」だと思われる。1989年(平成1年)に現在の「大元祠山上祠」に遷座か。
13 神道修成派 中宝祠 (現存?) 長野県長野市戸隠宝光社2332 江戸時代までは、宝光院谷に所属していた「広善院」(徳善院?)。戸隠神社宿坊の越志家。現在の「越志旅館」。『長野県史』近代史料編10巻572頁に「神道修成派中宝祠」の記述がある。472頁に1883年(明治16年)9月の管長宛の祠宇建設上申書がある。569にも。『戸隠-総合学術調査報告』161頁によると、1884年(明治17年)ごろの神道修成派に関する文書(「越志家所蔵文書」15・23~37)数点が残っているという。
14 神宮教 大神宮祠 伊勢祖霊社 三重県伊勢市岡本1-17-9 「神宮教本院」にあった。『大神神社史料』第7巻、709ページに神道神宮教管長田中頼庸から神宮教各本部に送られた、神宮教本院に「大神宮祠」設置を知らせる1883年(明治16年)3月10日付の文書が収録されている。現在の伊勢祖霊社だと思われる。
15 神宮教 大神宮祠 東京大神宮 東京都千代田区富士見 「神宮教教院」にあった。『東京大神宮沿革史』52に「神宮教祠宇」とある。
16 大社教 大社教本祠 出雲大社教神楽殿 島根県出雲市大社町杵築東 祭神は大国主大神を主神として、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神、天照大御神、産土大神を祀る(1924(大正13)『出雲大社並大社教本院参拝案内』)
17 大社教 大社教東京分祠 出雲大社東京分祠 1(上二番町<半蔵門のあたり>)
2東京都港区六本木7丁目18-5
1882年(明治15年)4月4日に神田神社から移転。1883年(明治16年)5月11日、東京分祠創建(『千家尊福公』)
18 大社教 (名称不明) (現存不明) (栃木県内) 『宗教制度調査資料』7に掲載の1922年(大正11年)の統計で新たに記載されている。下野分院か。
19 扶桑教 扶桑教本祠 (名称不明) 1東京都港区浜松町2丁目(東京府東京市芝区神明町)
2東京都渋谷区桜丘町26-1<現・セルリアンタワー>(渋谷町大和田386)
3松沢<桜上水近辺>
4東京都世田谷区松原1丁目7-20
平野栄次によると、宍野半は、1875年(明治8年)1月に芝神明町に拠点を設置。1876年(明治9年)2月に祠宇が完成しているという(祠宇の語法は遡及的に用いているものか。)。計画書によると、同年3月23日、富士山の山麓須走口にて、神鏡に「天照大神」を鎮祭し、つづいて大宮浅間神社にて「造化神」を合祀することを奏上。27日には北口にて「木花佐久夜毘売命」を鎮祭した。同年4月3日に帰京した。1914年(大正3年)『渋谷町誌』92には1890年(明治23年)祠を創建とあるが、このとき「祠宇」になったということだろうか。1898年(明治31年)に芝神明町より移転した(1914年(大正3年)『渋谷町誌』92)。
20 大成教 大成教祠宇 (現存不明) 1(小石川区原町44番地)
2(台東区?)
21 大成教 事妙法祠 (廃絶) 1北九州市小倉
2東京都港区西新橋2丁目34(東京市芝区田村町5)
蓮門教の祠宇。教団資料には「大成教蓮門教事妙法本祠」とある。当初、小倉に置かれたが、1889年(明治22年)に東京に遷した(奥武則1988、168参照。)。1889年(明治22年)10月19日ともいい(100ページ)、29日ともいう(101ページ、大成教資料)。愛宕真福寺の目の前にあった。
22 大成教 事妙法分祠 (廃絶?) 北海道根室市常磐町(「根室郡常磐町五丁目」) 蓮門教の祠宇。大成教資料によると、1895年(明治28年)6月25日に設立されたとあるが、1892年(明治25年)5月の蓮門教機関誌にも既に記されている(奥武則1988、102)。根室に置かれた理由は明らかでないが、島村みつの孫、島村仙修が小樽に住んでいたことと関係があるのではないかと推測されている(同104)がそれにしては遠すぎる。
23 神習教 神習教本祠 桜神宮 1東京都千代田区神田小川町2(東京府東京市神田区小川町1)
2東京都千代田区神保町3(東京府東京市神田区今川小路2-5)
3東京都世田谷区新町3丁目21-3
1883年(明治16年)9月に祠宇創建(教派神道の形成284)。御嶽信仰の祭神もこのとき、王滝御嶽神社より分霊されたようである(『長野県史 近代史料編10』473ページ)。小泉墨城編 1905年(明治38年)『敷島美観』38コマに今川小路時代の写真あり
https://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%A0%E5%AE%87」より作成

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