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河内・極楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*慶安年間:当地に西代藩を領した本多家の菩提寺となった[https://dl.ndl.go.jp/pid/12265841/1/519](その後、伊勢神戸に転封。墓所はないようだ)。 | *慶安年間:当地に西代藩を領した本多家の菩提寺となった[https://dl.ndl.go.jp/pid/12265841/1/519](その後、伊勢神戸に転封。墓所はないようだ)。 | ||
*1872年:郷学校開設 | *1872年:郷学校開設 | ||
| - | * | + | *1979年頃:河内錦渓大仏建立 |
==組織== | ==組織== | ||
===歴代住職=== | ===歴代住職=== | ||
| - | + | 『錦渓山歴代相承譜』に祐算を1世として21世誡山まで記載。『大念仏寺四十五代記録并末寺帳』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12215951/1/139]に道味まで記載。 | |
*[[法明]]()<>: | *[[法明]]()<>: | ||
| + | *道覚()<>: | ||
| + | *恵秀()<>:楠木正成の弟という。 | ||
| + | *徳聴()<>:楠木正成が帰依したという[https://dl.ndl.go.jp/pid/3028677/1/229] | ||
*1祐算()<>:上原に1609年の名号碑があるという[https://dl.ndl.go.jp/pid/12252457/1/7]。 | *1祐算()<>:上原に1609年の名号碑があるという[https://dl.ndl.go.jp/pid/12252457/1/7]。 | ||
*2道菴()<>: | *2道菴()<>: | ||
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*4宗秀()<>: | *4宗秀()<>: | ||
*5宗雲()<>: | *5宗雲()<>: | ||
| - | *6法善()<> | + | *6法善()<>:藩主本多が帰依。 |
*7宗久()<>:宗休とも。 | *7宗久()<>:宗休とも。 | ||
*8宗清()<>: | *8宗清()<>: | ||
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== 資料 == | == 資料 == | ||
*『錦渓山歴代相承譜』:『法会(御回在)の調査研究報告書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12217523/1/106] | *『錦渓山歴代相承譜』:『法会(御回在)の調査研究報告書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12217523/1/106] | ||
| - | * | + | *1922『大阪府全志』4[https://dl.ndl.go.jp/pid/965801/1/169] |
*1903『大阪府誌5』「極楽寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/765475/1/407] | *1903『大阪府誌5』「極楽寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/765475/1/407] | ||
| + | *1931『大阪府史蹟名勝天然記念物』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572912/1/172] | ||
*大澤研一1992「融通念佛宗の六別時について」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3431371/1/2]: | *大澤研一1992「融通念佛宗の六別時について」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3431371/1/2]: | ||
*1998『河内長野市史2』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576816/1/306] | *1998『河内長野市史2』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576816/1/306] | ||
2025年4月12日 (土) 時点における版
極楽寺(ごくらくじ)は、大阪府河内長野市(河内国錦部郡古野村)にある融通念仏宗寺院。河内六別時(中本山)の一つで、「錦部別時」と呼ばれた。河内西代藩(伊勢神戸藩)本多家の菩提寺。阿弥陀如来を本尊とし、勢至菩薩、観音菩薩を両脇に祀る。錦渓山安養聚院と称す。錦部極楽寺、古野極楽寺。(参考:同名寺院極楽寺)
目次 |
歴史
- 1321年(元亨1年):法明が創建。正中2年(1325)ともいう。楠木正成の弟恵秀が入寺したともいうが不詳。
- 1603年:祐算が入寺。
- 1642年:現在地に定着。これ以前は融通念仏宗独自の寺院形態である「挽道場」で、信者の民家を交代で道場としていた。現在地は聖徳太子が創建した温泉寺の跡地という。
- 慶安年間:当地に西代藩を領した本多家の菩提寺となった[1](その後、伊勢神戸に転封。墓所はないようだ)。
- 1872年:郷学校開設
- 1979年頃:河内錦渓大仏建立
組織
歴代住職
『錦渓山歴代相承譜』に祐算を1世として21世誡山まで記載。『大念仏寺四十五代記録并末寺帳』[2]に道味まで記載。
- 法明()<>:
- 道覚()<>:
- 恵秀()<>:楠木正成の弟という。
- 徳聴()<>:楠木正成が帰依したという[3]
- 1祐算()<>:上原に1609年の名号碑があるという[4]。
- 2道菴()<>:
- 3浄心()<>:
- 4宗秀()<>:
- 5宗雲()<>:
- 6法善()<>:藩主本多が帰依。
- 7宗久()<>:宗休とも。
- 8宗清()<>:
- 9道味()<>:
- 10草鈍()<>:
- 11寂道()<>:
- 12道秀法山()<>:
- 13良道融玄()<>:
- 14融山源通()<>:大念仏寺中興大通の弟子。
- 15真沢諦潤()<>:融山源通の弟子。
- 16兆齢元靏()<>:真沢諦潤の弟子。
- 17講数義聞()<>:兆齢元靏の弟子。
- 18通関洞山()<>:講数義聞の弟子。
- 19霊督鳳山()<>:本山学頭[5]。通関洞山の孫弟子。真光院と号す。常説。
- 20晃曜俊山()<>:霊督鳳山の弟子。宝樹院と号す。釈普照
- 21誡山()<>:晃曜俊山の弟子。
- 西洞院時雄()<>:大念仏寺60世。