ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

枕崎護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?資料)
1行: 1行:
'''枕崎護国神社'''は鹿児島県枕崎市鹿篭麓町(薩摩国川辺郡)にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。枕崎南方神社内。'''東南方招魂社'''、'''枕崎招魂社'''、'''東南方護国神社'''。[[鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓]]も参照。
'''枕崎護国神社'''は鹿児島県枕崎市鹿篭麓町(薩摩国川辺郡)にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。枕崎南方神社内。'''東南方招魂社'''、'''枕崎招魂社'''、'''東南方護国神社'''。[[鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓]]も参照。
-
 
+
南方神社は諏訪信仰の神社で、花渡川を望む丘陵に鎮座し、北東を向く。参道の階段には諏訪大社上社・下社の二神を表す二つの鳥居が左右に並び立つ。参道を登り切ると広場があり、さらにもう一段上に社殿が並ぶ。南方神社本殿の向かって右手に、淡島神社と護国神社がある。この2社の拝殿は連結されている。広場から南方神社・淡島神社・護国神社に向かう階段がそれぞれ整備され、護国神社前の階段には鳥居が建てられている。護国神社の社殿はコンクリート造で、壁は白く、柱などは赤く塗られている。護国神社の脇には「戦死墓」と刻まれた1969年11月建立の招魂墓があり、戊辰戦争で戦死した3人の名前が刻まれている。裏面には碑銘がある。招魂墓の隣には護国神社改築記念碑もある。護国神社と招魂墓の間には小祠があるが、詳細は不明。拝殿の正面には明治9年の石燈籠がある。
-
近くに薩軍戦没者を祭る招魂塚もある。
+
南方神社には薩軍戦没者を祭る招魂塚もある。

2025年8月27日 (水) 時点における版

枕崎護国神社は鹿児島県枕崎市鹿篭麓町(薩摩国川辺郡)にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社。枕崎南方神社内。東南方招魂社枕崎招魂社東南方護国神社鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。 南方神社は諏訪信仰の神社で、花渡川を望む丘陵に鎮座し、北東を向く。参道の階段には諏訪大社上社・下社の二神を表す二つの鳥居が左右に並び立つ。参道を登り切ると広場があり、さらにもう一段上に社殿が並ぶ。南方神社本殿の向かって右手に、淡島神社と護国神社がある。この2社の拝殿は連結されている。広場から南方神社・淡島神社・護国神社に向かう階段がそれぞれ整備され、護国神社前の階段には鳥居が建てられている。護国神社の社殿はコンクリート造で、壁は白く、柱などは赤く塗られている。護国神社の脇には「戦死墓」と刻まれた1969年11月建立の招魂墓があり、戊辰戦争で戦死した3人の名前が刻まれている。裏面には碑銘がある。招魂墓の隣には護国神社改築記念碑もある。護国神社と招魂墓の間には小祠があるが、詳細は不明。拝殿の正面には明治9年の石燈籠がある。 南方神社には薩軍戦没者を祭る招魂塚もある。


祭神

歴史

  • 1869年(明治2年)1月:今給彦七らが創建。現在の桜山小学校の校門右手あたり(枕崎市誌[1])。もしくは講堂のあたりとも(枕崎市史[2])。
  • 明治16年10月30日:官祭招魂社となる(鹿児島県史[3])。
  • 明治32年:暴風で社殿倒壊。宝殿のみ残る。[4]
  • 大正4年:現在地に遷座。小学校拡張敷地のため。大正5年とも[5]。802円97銭。
  • 昭和14年4月1日:枕崎護国神社と改称。
  • 昭和55年:コンクリート造りの社殿を造営[6]

資料

  • 枕崎市誌 上巻[7]
  • 1990枕崎市誌下巻[8]
  • 1969枕崎市史[9]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9E%95%E5%B4%8E%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール