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西長島護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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地頭 川畑篤行謹撰 | 地頭 川畑篤行謹撰 | ||
都講 児玉利綱謹書」 | 都講 児玉利綱謹書」 | ||
| - | + | (試訳。書き下し文)「宮内君は姓平、諱を盛成、静次と称す。泰蔵の第三男、母は田中氏、長島の人なり。慶応三年丁卯八月十二日、公命を奉じて京師に役す。明年戊辰正月三日、徳川慶喜大阪城に在り。叛を謀り、大挙して北上す。君は番兵となり、二番隊兵士として禁闕を衛す。官軍薩・長・土の三藩これを禦ぐ。鳥羽・伏見に大いにこれを克ち、続いて六日八幡に戦う。賊兵大いに敗れ、各々本国に遁れ、要害に拠る。北越の間最も熾んなり。官軍挙げてこれを討つ。六月三日、君もまた越後に出陣して戦闘す。虚日有ること莫く、屢々賊鋒を摧く。七月二十五日、長岡城下町口台場を攻むるに、先鋒と為る。賊盛んにして我兵戦没する者甚だ多し。君もまた銃丸に中りて左臂を傷つく。奮勇して戦に出でんと欲すといえども能わず。扶け挙げられて営に帰る。高田病院に入り、病劇しくして終に死す。享年十八。時に八月三日なり。その地薬師山に神葬す。既にして遺髪、国に至る。官給五十金を以てす。己巳正月十七日、長島唐隈の園中に神葬す。謚して千城魁雄命とす。君は人となり、諒直寛和にして、自幼より文を習ひ、武を嗜み、学業進みて、稍や其の成立を俟つ。則ち自ら功業有るべしといえども、一旦にして忽ち戦死す。鳴呼惜しむべし。曽子曰く、「戦陳に勇無きは孝に非ざるなり」と。今、王事に死して以て君父の名を顕す。実に人倫の極、万世不易の常経なり。然れば則ち死すといえども、その心また以て泉下に憾む勿かるべきのみ。乃ち君の志行を述べ、謹みてその碑に記し、社の下に建つのみ。」 | |
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2025年8月30日 (土) 時点における版
西長島護国神社は鹿児島県出水郡長島町城川内にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。西長島招魂社。鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。
目次 |
祭神
官祭祭神
靖国神社誌[1]によれば1柱。
歴史
画像
資料
記念碑
『出水風土誌』[4]、『幕末維新史跡観光』[5][6] 「宮内君姓平諱盛成。称静次。泰蔵第三男。母田中氏。長島人。慶応三年丁卯八月十二日奉公命役于京師。明年戊辰正月三日徳川慶喜在大阪城。謀叛大挙而北上。君為番兵。二番隊兵士衛禁闕。官軍薩長土三藩禦之。鳥羽伏見大克之。続而六日戦于八幡。賊兵大敗。各遁于本国而拠要害。北越之間最熾。官軍挙討之。六月三日君亦出陣于越後戦闘。莫有虚日。屢摧賊鋒焉。七月二十五日攻長岡城下町口台場。為先鋒。賊盛而我兵戦没者甚多。君亦中銃丸傷左臂。奮勇欲出戦而不能。被挙扶而帰営。入于高田病院。病劇而終死。享年十八時八月三日也。神葬其地薬師山。既而遺髪至于国。官給以五十金。己巳正月十七日神葬之。長島唐隈之園中。謚千城魁雄命君為人諒直寛和自幼習文嗜武学業進稍俟其成立。則自可有功業而一旦忽焉戦死鳴呼惜哉。曽子曰戦陳無勇非孝也。今死於王事以顕君父之名。実人倫之極万世不易之常経也。然則雖死其心亦可以勿憾於泉下而已。乃述君志行謹記其碑以建社下云爾。 明治二年己巳冬十二月二十六日 地頭 川畑篤行謹撰 都講 児玉利綱謹書」 (試訳。書き下し文)「宮内君は姓平、諱を盛成、静次と称す。泰蔵の第三男、母は田中氏、長島の人なり。慶応三年丁卯八月十二日、公命を奉じて京師に役す。明年戊辰正月三日、徳川慶喜大阪城に在り。叛を謀り、大挙して北上す。君は番兵となり、二番隊兵士として禁闕を衛す。官軍薩・長・土の三藩これを禦ぐ。鳥羽・伏見に大いにこれを克ち、続いて六日八幡に戦う。賊兵大いに敗れ、各々本国に遁れ、要害に拠る。北越の間最も熾んなり。官軍挙げてこれを討つ。六月三日、君もまた越後に出陣して戦闘す。虚日有ること莫く、屢々賊鋒を摧く。七月二十五日、長岡城下町口台場を攻むるに、先鋒と為る。賊盛んにして我兵戦没する者甚だ多し。君もまた銃丸に中りて左臂を傷つく。奮勇して戦に出でんと欲すといえども能わず。扶け挙げられて営に帰る。高田病院に入り、病劇しくして終に死す。享年十八。時に八月三日なり。その地薬師山に神葬す。既にして遺髪、国に至る。官給五十金を以てす。己巳正月十七日、長島唐隈の園中に神葬す。謚して千城魁雄命とす。君は人となり、諒直寛和にして、自幼より文を習ひ、武を嗜み、学業進みて、稍や其の成立を俟つ。則ち自ら功業有るべしといえども、一旦にして忽ち戦死す。鳴呼惜しむべし。曽子曰く、「戦陳に勇無きは孝に非ざるなり」と。今、王事に死して以て君父の名を顕す。実に人倫の極、万世不易の常経なり。然れば則ち死すといえども、その心また以て泉下に憾む勿かるべきのみ。乃ち君の志行を述べ、謹みてその碑に記し、社の下に建つのみ。」