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山科本願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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(ページの作成:「'''山科本願寺'''は、京都郊外の山城国宇治郡山科にあった時の本願寺の呼称。本願寺遷座旧跡も参照。蓮如が造営...」)
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2016年10月16日 (日) 時点における版
山科本願寺は、京都郊外の山城国宇治郡山科にあった時の本願寺の呼称。本願寺遷座旧跡も参照。蓮如が造営し、約50年間にわたり3代の門主に使われた。
天文元年(1532)、細川晴元らにより焼き討ちされ、大坂に遷った(大坂本願寺)。
阿弥陀堂と御影堂を並べ広い前庭を設ける配置は山科本願寺からとされ、以後も継承された。
跡地の保全と調査
古記録、古地図、残存地形などからおおまかな境内構成は復元され、阿弥陀堂と御影堂があった場所(御本寺)もおおよそ特定されているが、発掘調査は進んでおらず、平成28年現在、伽藍の遺構は発見されていない。江戸時代の古図には土塁の痕跡がはっきりと描かれ、平成初年まで土塁跡は緑地として伽藍跡は農地として残されてきたが、都市開発により近年急速に破壊が進んだ。遺跡の中央部を東海道新幹線が貫いている。平成28年、国史跡に指定された。