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日向・龍峰寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2020年3月31日 (火) 時点における版
龍峰寺(りゅうほうじ)は宮崎県都城市都島町(日向国諸県郡)にあった島津家ゆかりの曹洞宗寺院。本尊は薬師如来。廃絶。墓地が残る。都城島津家(北郷家)の菩提寺。山号は長城山。
歴史
都城島津家8代の北郷忠相(1487-1559)が母の松庵妙椿大姉(豊州家初代島津季久の娘)を弔うために創建した。 1573年(天正1年)、肝付家の侵攻を最初に報じたのが龍峰寺の配下の者だったことから、以後、龍峰寺が新年の礼の首位に置かれたという。 起宗守興(総禅寺住職、?-1497)を開山とするが、年代から考えると勧請開山と思われる。 1595年(文禄4年)、都城島津家の移封に伴い、一時、宮之城に移転するが、1600年(慶長5年)に都城に戻り、城の南に移った。 1619年(元和5年)212石。1860年(万延1年)100石。 1867年(慶応3年)廃絶。
墓地には北郷忠相以降の歴代当主ら一族の墓の他、義烈塔がある。 義烈塔は25代の島津久静(1832-1862)が1858年(安政5年)に建立したもので、都城島津家の戦死者・殉死者505人の名を刻む。 (日本歴史地名大系)