|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
薩摩・感応寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年3月21日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
感応寺(かんのうじ)は、鹿児島県出水市野田町下名にある臨済宗寺院。本尊は十一面千手観音。栄西旧跡で島津家の菩提寺。薩摩・大隅・日向おける臨済宗の最古級寺院。十刹。臨済宗相国寺派。島津家感応寺墓地がある。山号は鎮国山。野田感応寺。(参考:同名寺院感応寺)
目次 |
歴史
1194年(建久5年)島津忠久が創建。薩摩・大隅・日向の守護職となった忠久は、入国に先立ち、家老本田貞親に命じて先に下向させ、1191年(建久2年)に帰国した栄西を開山として創建。
忠久は1227年(安貞1年)に鎌倉で死去すると、子の島津忠時は1228年(安貞2年)に塔頭光明院を創建し、父の分骨墓を設けた。その後、5代までの墓地が設けられた。
1323年(元亨3年)島津忠宗が雲山祖興を中興開山として再興。島津貞久の代にかけて整備し、本寺である東福寺を模した七堂伽藍を誇った。
1339年(延元4年/暦応2年)12月17日に諸山に、同月23日に十刹に、足利尊氏の御教書で列格した。
1351年(正平6年/観応2年)1月、足利尊氏が九州に落ちのびた時、本陣を感応寺に置いたという(鹿児島県出水郡誌)。
ただし『和漢禅刹次第』では東福寺永明院派の諸山格とする。 1372年(文中1年/応安5年)9月4日、足利義満が足利将軍家祈祷所とした。
1445年(文安2年)、現在の本尊が造立された。
島津家の庇護を受け、総州家や本田家を帰依。特に薩州家が重視した。1593年(文禄2年)の薩州家の改易と共に衰退した。1869年(明治2年)の廃仏毀釈で廃絶。 1880年(明治13年)、相国寺末として再興した。
1971年(昭和46年)本堂再建。
(日本歴史地名大系、寺院ウェブサイト)
境内
- 本堂:
- 島津家感応寺墓地:五廟社と呼ばれている。
塔頭
- 光明院:1228年(安貞2年)島津忠時が島津忠久の一周忌に創建。
- 金井軒:1324年(正中1年)本田石見守が創建。
- 沢龍軒:1359年(延文4年)創建。
- 本会軒:1373年(応安6年)創建。
- 隣竹庵:1373年(応安6年)創建。
- 道交軒:1373年(応安6年)創建。
- 金龍院:1470年(文明2年)創建。島津忠国の牌所。
組織
歴代住職
- 栄西():
- 1雲山祖興():東福寺6世の蔵山順空(1233-1308、高城寺開山)の法嗣。1344年(興国5年/康永3年)死去。
- 2田翁祖珪():
- 10聖薫():徹堂
- 15従薫():島津国久の五男
- 梅嶺():廃仏毀釈を潜り抜けた。
- 荻野独園():
- 35真光():
- 36恵徳():
資料
- 『感応寺由来』:感応寺文書。歴代住職の記載があるという。