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Template:真光分裂史
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年11月7日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
教祖時代
- 1901年(明治34年)2月27日:岡田光玉、東京青山に誕生。本名は良一。(『新宗教教団人物事典』)
- 1922年(大正11年):岡田光玉、陸軍士官学校卒。近衛歩兵第一連隊に配属。(『新宗教教団人物事典』)
- 1941年(昭和16年):ベトナム戦線にてカリエス再発。重症化して帰国。「あと3年の命」といわれるが、信仰生活により無事に回復したという。陸軍中佐まで昇進したが軍隊をやめ、飛行機会社をはじめ様々な事業を手掛けたという。(『新宗教教団人物事典』)
- 1945年(昭和20年):空襲で経営する会社の工場が全焼。莫大な借財を負う。(『新宗教教団人物事典』)
- 戦後:世界救世教に入信。(『新宗教教団人物事典』)
- 1959年(昭和34年)2月27日:岡田光玉、58歳の誕生日に最初の神示を得た。のちに立教の日とされる。
- 1959年(昭和34年)8月28日:東京神田に「L・H陽光子友乃会」設立
- 1959年(昭和34年):関口栄、入会。(『新宗教教団人物事典』)
- 1962年(昭和37年):世界真光文明教団、設立。
- 1962年(昭和37年):この年より「火の洗礼」の時代に入ったとされる。
- 1963年(昭和38年)11月:宗教法人認証
- 1968年(昭和43年):田園調布に神殿を建立
- 1969年(昭和44年):神示を『御聖言』にまとめる。(『新宗教教団人物事典』)
- 1973年(昭和48年):世界真光文明教団、国際班設置。岡田光玉、ヨーロッパを巡教。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1973年(昭和48年)12月:ブラジル進出
- 1974年(昭和49年):国際班が国際部に昇格。欧州アフリカ方面、北米方面、南米方面の3部署を設置。のちの教団分裂で多くは崇教真光に流れたといわれる。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1974年(昭和49年):北米進出。
教団分裂
- 1974年(昭和49年)6月13日:岡田光玉養女の岡田恵珠、熱海の陽霊元み魂座の神前において、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」との神示により「ヨのみ霊」を継承し、「ヨのみ役」を授かったという。裁判で争点の一つとなる。(『新宗教教団人物事典』)
- 1974年(昭和49年)6月23日:岡田光玉、死去。後継者の係争が始まる。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1974年(昭和49年)7月5日:養女の岡田恵珠が代表役員登記。同年、関口栄が代表役員の地位にあることを仮に定めることと岡田恵珠の代表役員としての職務執行停止を求める訴えを東京地裁に起こした。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1975年(昭和50年)7月24日:東京地裁民事第八部、関口の訴えを却下。関口控訴。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1975年(昭和50年)1月11日:関口栄、神示と共に「聖峰」の神名を授かる。
- 1975年(昭和50年):コートジボワールに進出
- 1977年(昭和52年)3月31日:東京高裁、一審の判決を取り消し、関口の訴えを認める。岡田が上告。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1977年(昭和52年)9月22日:最高裁判決、上告棄却。世界真光文明教団の代表役員は関口栄と法的に確定する。(『縮刷版新宗教事典』)
- 1978年(昭和53年)6月:岡田恵珠、崇教真光の設立。宗教法人認証。