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二上の岩屋

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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二上の岩屋は、葛城山系の二上山の南、大阪府南河内郡太子町の岩屋峠にある石窟寺院。二つの石窟が残る。三重石塔や磨崖仏もある。「世親の岩屋」とも。近くに鹿谷寺もある。

二上岩屋大念仏

中世の修験道当山派では毎年9月25日に「二上岩屋大念仏」という行事が行われた。『大峰当山本寺興福寺東金堂先達記録』に行事の記述がある。大峰葛城の入峰修行の成就を祝うもので、一度帰寺してから再び集まったらしい。「悦酒」とあり、行事に用いられる菜汁などの品目が挙げられ、宴席が眼目だったのだろう。頭役を興福寺、六大寺、東郷、西郷、伊賀、和泉、河内、摂津の8者が交代で務めた。「三ケ寺」が事務方を担っている。

六大寺は東大寺元興寺法隆寺大安寺薬師寺唐招提寺のこと。東郷西郷は不詳。1293年から1377年までの頭役の記録が『勝尾寺文書』753号に列記されている。また1385年、頭役の勝尾寺が「三ケ寺」に費用を納めた領収書の文書が『勝尾寺文書』769号に納められている。

「三ケ寺」は『勝尾寺文書』769号に記載される向谷寺高尾寺当麻寺とみられ、いずれも二上山の近くにある。「三ケ寺行衆」とも呼ばれた。この行事だけでなく当山派教団の事務方を担っており、興福寺両堂行衆、三ケ寺行衆、大和・松尾寺、諸寺諸山の山伏の順番で情報伝達をされた事例が『東金堂細々要記』の1366年4月2日条にある。 (徳永誓子1998「修験道当山派と興福寺堂衆」)

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