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タクルン寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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タクルン寺(Taklung、達隆寺、達隆塘寺、達龍寺)はチベット古都ラサ郊外にあるチベット仏教寺院。カギュ派タクルン派の拠点。ラサ中心部の北北東56kmにある。中国チベット自治区ラサ市ルンドゥプ県旁多郷に属する。

タクルンは地名。1180年、タクルンタンバ・タシーペル(達隆塘巴扎西貝、タクルンダンパチェンポ、1142-1210)[1]が創建。タクルンタンバはパクモドゥパ(帕木竹巴、1100-1170)(パクモドゥ派開祖でもある)に師事した。 タクルンタンバはタクルン寺を拠点にカギュ派を広めたが独特のところがあり一大勢力なったので、タクルン派と呼ばれるようになった。2世は甥のゴワ・リンチェンゴンポ(古雅哇仁欽貢波、1191-1236)で、銀の塔を建て、パクモドゥパ像を祀り霊塔にタクルンタンバ像を祀った。3代のサンジェ・ガワン・シェラブ・ラマ(サンギャヤルチョン?、桑傑雅軍喜繞喇嘛、1203-1272)は質素な生活を送った。 その死後、甥のサンギェウン?(桑吉温、1251-1296)が継承したが、もう一人の甥で帝師パスパ(1235-1280)の弟子となっていた甥のマンガラ・グル(茫伽拉古如、1231-1297)が、パスパの後ろ盾で4世に着いた。そのため、1273年サンギェウンは一年で退任して1277年に別にリウォチェ寺を建てて、タクルン派は二つに分かれた。 9世のタシーペルツェク(扎西貝孜、1459-1524)は明朝永楽帝から国師に任じられ、銀印を賜ったという。その後、タクルンマツァンとタクルンツェパの二つの化身ラマが置かれた。(呂其俊「トゥカン三世の生涯と思想」93頁[2]も参照)

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