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平戸護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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平戸護国神社001.jpg

平戸護国神社は長崎県平戸市岩の上町の平戸城跡にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社平戸・亀岡神社が隣接。崎山招魂場、平戸招魂社。

目次

祭神

官祭祭神

靖国神社誌には16柱[1]とあり、平戸史蹟大観によれば16柱は以下の人物[2]

  • 01:山本儀三郎記行:墓所は角館常光院官修墳墓
  • 02:吉福八十太郎吉雅:墓所は角館常光院官修墳墓。
  • 03:松永豊七重義:墓所は角館常光院官修墳墓。
  • 04:川原友之助就義:長崎振遠隊。戦闘後,行方不明[3]。戦死認定[4]。実名不詳という[5]
  • 05:松瀬辰之助正久:墓所は全良寺官修墳墓、角館常光院官修墳墓。
  • 06:藤沢和右衛門安吉:墓所は刈和野本念寺官修墳墓
  • 07:石田喜七直義:墓所は全良寺官修墳墓、宝蔵寺官修墳墓
  • 08:川久保忠作勝久:久保川?墓所は全良寺官修墳墓、角館常光院官修墳墓。
  • 09:大石嘉吉正勝:墓所は角館常光院官修墳墓。
  • 10:小田忠蔵義方:墓所は刈和野本念寺官修墳墓。
  • 11:湯村新作良春:墓所は刈和野本念寺官修墳墓。
  • 12:朝永増左衛門忠貞:墓所は刈和野本念寺官修墳墓。
  • 13:石井幸平持久:墓所は角館常光院官修墳墓。
  • 14:松田豊平有常:墓所は刈和野本念寺官修墳墓。
  • 15:志方豊吉:墓所は刈和野本念寺官修墳墓。
  • 16:松崎左一兵衛:墓所は刈和野本念寺官修墳墓。

歴史

  • 明治2年2月16日:招魂場創設[6][7]。13日説は誤りか。9月16日を例祭日とする[8]
  • 明治8年:官祭招魂社となる。例祭日を10/31とする[9]
  • 明治30年10/31:松浦詮が参拝[10]
  • 大正元年:10/31は天長節のため、例祭日を11/1に変更[11]
  • 大正3年4月30日:〈招魂社例祭とは別個に松浦郡長を祭主として招魂祭が平戸で始まる[12]
  • 昭和14年4月1日:平戸護国神社に改称。[13]
  • 昭和18年:現在地に造営か[14][15]

画像

資料

  • 楠本端山「崎山招魂碑銘」:

『端山先生遺書 亨』[16]、『楠本端山・碩水全集』[17]。松浦詮伯伝[18]。揮毫は浦上林雪[19]

  • 『靖国神社百年史 資料篇 下』[20]
  • 『招魂社成立史の研究』[21][22]
  • 『現行長崎県令規全集』[23][24]
  • 『平戸藩史考』[25][26]



画像

https://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%B8%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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