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山科本願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2016年10月16日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
山科本願寺(やましな・ほんがんじ)は、京都郊外の山城国宇治郡山科にあった時の本願寺の呼称。本願寺遷座旧跡も参照。蓮如が造営し、約50年間にわたり3代の門主に使われた。
概要
応仁の乱が終わった翌年の文明10年(1478)、蓮如が造営を開始。山科を選んだのは、ある僧侶にお告げがあったからともいうが、山科の有力者に帰依され、土地を寄進されたからという。
天文元年(1532)8月、細川晴元らにより焼き討ちされ、大坂に遷った(大坂本願寺)。
阿弥陀堂と御影堂を並べ、広い前庭を設ける配置は山科本願寺からとされ、以後も継承された。 伽藍がある区画は当時「御本寺」と呼ばれ、その周りの「内寺内」に教団幹部僧侶の坊舎、その外の「外寺内」に門徒の居住区が置かれた。
跡地の保全と調査
古記録、古地図、残存地形などからおおまかな境内構成は復元され、阿弥陀堂と御影堂があった場所(御本寺)もおおよそ特定されているが、平成28年現在、第22次まで行われた発掘調査も範囲は限定されており、伽藍の遺構は発見されていない。江戸時代の古図には土塁の痕跡がはっきりと描かれ、平成初年まで土塁跡は緑地として伽藍跡は農地として残されてきたが、都市開発により近年急速に破壊が進んだ。遺跡の中央部を東海道新幹線が貫いている。平成23年の第17次調査では土塁の下から土取り穴が見つかり、15世紀末〜16世紀初頭の物とみられる土器が多く出土し、永正年間の築造とする説を裏付けた。 平成28年、国史跡に指定された。