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ヤンパチェン寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年9月28日 (日)
ヤンパチェン寺(Yangpachen、羊八井寺、羊巴井寺)は、チベット古都ラサ郊外にあるチベット仏教寺院。カギュ派のカルマ派赤帽派の拠点で、化身ラマ「シャマルパ」(2025年現在空位)の座所だった。 ラサ中心部の西北77kmの標高4300mに位置し、中国チベット自治区ラサ市ダムシュン県ヤンパチェン鎮に属する。
寺名は「仏教広厳城」を意味するという。 シャマルパ4世が1503年にリンプンパ領主の頓月多吉の支援で創建(1490年説もある)。 『青蓮花双垂瓔珞伝』(rtogs brjod autpalavi do shal)によると、1503年1月にシャマルパ4世が寺地の選定に訪れ、ニェンチェンタンラ山の日沃昌傑山の前に決めた。3/24に破土の儀式を行い、4月19日に本堂(ツクラカン大殿)や方丈、197間の僧房などの礎を築き、建設の円満を祈った。23日には三宝を奉納する儀式が盛大に行われた。9/23に落慶し、第一段階の整備が終わった。第二段階では1512年に巨大な弥勒大殿が建てられた。壁画はチベット仏教美術の曼塘(sman thang)派と欽孜(mkhyen brtse)派の開祖とその弟子によって制作された。 完成後は赤帽派の拠点が乃朗寺から移された。 伽藍はその後、さらに拡張され、楼房778間、僧房357間、山下小廟一座計13間」、寺領9所、ラマ103人の規模を誇ったという。 1792年のネパールからの侵攻を招いたとして、乾隆帝の命でダライラマ政権によりシャマルパの転生が禁止され、ゲルク派に改宗されたが、その後、カルマ派に戻ったらしい。
1966年頃、文化大革命で破壊された。1985年から修復が始まった。
シャマルパ
シャマルパ(Shamarpa、夏瑪巴)はチベット仏教カギュ派ダルマ派の転生僧の名跡の一つで、ダルマパに次ぐ高位にある。赤帽ラマとも呼ばれる。カルマパ3世の弟子から始まる。カルマパと相互に転生を承認する立場にある。阿弥陀如来の化身とされる。インド亡命。14世が2014年に死去して空位。
- 1:ケートゥプ・タクパサンギェー:Khedrup Drakpa Senge,Gragpa Senge:札巴辛給:1284-1349:
- 2:カチェー・ワンポ:Khacho Wangpo:卡却旺波:1350-1405:
- 3:チョパル・イェーシェー:Chopal Yeshe:丘帕耶些:1406-1452:
- 4:チューキ・ダクパ:Chokyi Drakpa:確吉札巴:1453-1524:
- 5:クンチョク・イェンラク:Koncho Yenlak:袞秋顔拉:1526-1583:
- 6:チューキ・ワンチュク:Chokyi Wangchuk:確吉旺秋:1584-1630:
- 7:イェーシェー・ニンポ:Yeshe Nyinpo:耶些寧波:1631-1694:
- 8:ペルチェン・チューキ・トンドゥプ:Palchen Chokyi Dondrup:帕千確吉頓竹:1695-1732:
- 9:クンチョク・ギャウェージュンネー:Konchog Geway Jungnay:昆秋給威炯内:1733-1741:
- 10:ミパム・チュートゥプ・ギャムツォ:Mipam Chodrup Gyamtso:米龐確竹蔣措:1742-1793:パンチェン・ラマ6世の義理の兄弟。ネパールとチベットの戦乱を招いたとして、ダライラマ政府により、以後の転生を禁止される。
- 11:(不明):ー:ー:生没年不詳:ダライラマ政府によって隠されたという。
- 12:ティセ・ジャムヤン:Tugsay Jamyang:塔謝蔣揚:1880-1947:
- 13:ティンレー・クンチョプ:Trinlay Kunchap:聴列袞秋:1948-1950:1歳あまりで死去。
- 14:ミパム・チューキ・ロドゥ:Mipham Chokyi Lodro:米龐確吉羅佐:1952-2014:1956年、カルマパ16世の請願により、ダライラマ14世は転生禁止解除の方針を示す。インド亡命を挟んで、1964年、シッキムのルムテク寺で正式に就任式を行った。カルマパ17世の転生をめぐり、ダライラマ政府や中国政府が認定したのとは別の人物を擁立した。2014年6月11日ドイツで死去。
資料
- 2020「チベット当雄県羊八井寺の初期壁画遺存初探」[1]