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中尊寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月8日 (木)
中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗寺院。天台宗延暦寺派別格大寺。陸奥国。奥州藤原氏の祈願寺・菩提寺。藤原清衡が創建。延暦寺根本中堂「不滅の法灯」の分燈がある。金色堂が有名。江戸時代、仙台仙岳院が中尊寺別当を兼ねた。山号は関山。平泉も参照。
目次 |
歴史
- 850年:円仁が創建。弘台寿院と称したという。
- 859年:清和天皇が「中尊寺」号を下賜したと伝える
- 1105年:藤原清衡が伽藍整備を開始ち
- 1124年8月20日:金色堂を建立
- 1126年3月24日ち:藤原清衡、白河法皇の御願寺として落慶法要。堀河天皇鳥羽天皇の勅願寺となる?
- 1128年7月16日:藤原清衡死去。金色堂内に埋葬される。
- 1157年頃:藤原基衡死去。
- 1187年10月29日:藤原秀衡死去。
- 1189年9月3日:源頼朝、藤原泰衡を討ち奥州藤原氏は滅亡
- 1217年(建保5年)6月:印鑁解任
- 1277年(建治3年)6月23日、最信解任
- 1288年:金色堂の覆堂を建立
- 1333年:鎌倉幕府滅亡
- 1337年:金色堂と経蔵以外を焼失
- 1665年:寛永寺の直末となる
- 1676年:輪王寺宮から法度
- 1680年(延宝8年)9月:院代良舜、藩主伊達綱村により追放される。
- 1680年(延宝8年)10月7日:仙台仙岳院3世亮栄、中尊寺別当を兼務。
- 1871年(明治4年)12月1日:三衣霊源、中尊寺住職に晋山
- 1958年(昭和33年)5月2日、「東北大本山」の昇格伝達式法要。 11月1日、昇格記念式典と「不滅の法灯」の相承法要を行う。
- 1959年:発掘調査を開始
伽藍
- 本堂:本尊は釈迦如来。
- 金色堂:本尊は阿弥陀三尊。左右に地蔵菩薩が3体ずつ祀られ、持国天と増長天を祀る。須弥壇の下には藤原三代の遺体と藤原泰衡の首を葬る。
- 阿波介墓:阿波介は元は陰陽師で悪事を働いたが法然に帰依。東国に布教に行き、金色堂で往生したという。阿波介舎利塚。
- 地蔵堂:本尊は地蔵菩薩。
- 薬師堂:本尊は薬師三尊。十二神将と熊野権現も祀る。
- 峰薬師堂:本尊は薬師如来。
- 不動堂:本尊は不動明王。
- 大日堂:本尊は金剛界大日如来。
- 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。蔵王権現と大黒天も祀る。
- 釈迦堂:本尊は釈迦三尊。
- 白山神社:
- 弁財天堂:本尊は弁財天十五童子。
- 愛宕堂(弁慶堂):本尊は勝軍地蔵。源義経と弁慶を配祀する。
- 経蔵:本尊は文殊菩薩。
- 旧覆堂:
- 能楽殿
子院
- 本坊:
- 金色院:
- 大長寿院:二階大堂。鎌倉・永福寺のモデルの一つとなる。
- 常住院:
- 法泉院:
- 願成就院:
- 瑠璃光院:
- 釈尊院:
- 金剛院:
- 薬樹王院:
- 観音院:
- 積善院:
- 円乗院:
- 大徳院:
- 地蔵院:
- 利生院:
- 真珠院:
- 円教院:
組織
住職(古代)
- 円仁()<>:中尊寺開山。
- 慶源()<>:
- 源忠
- 相仁
平泉惣別当
- 鎌倉幕府が任命する平泉惣別当が置かれた。両寺別当とも呼ばれ、中尊寺だけでなく毛越寺など、平泉の諸寺を管轄したとみられる。別当は中尊寺には赴任せず、現地には権別当を派遣した。
- 平雅行2019「平泉惣別当に関する基礎的考察」[1]の見解をベースとした。遠藤巌1974「平泉惣別当譜考」では3世を定豪、4世を定親としているが、平雅行はこの見解を否定している。朝宗、朝演のあたりは要検討。
| 世数 | 名 | 生没 | 在職 | 略歴 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 賢祐 | 生没年不詳 | 不詳 | 鶴岡八幡宮社僧。密蔵房と号す。 |
| 2 | 印鑁 | 生没年不詳 | ?-1217 | 鶴岡八幡宮社僧。就任年不明。1217年(建保5年)6月、堂社の維持修理の放置に反発した衆徒の強い要請により解任された。理乗房と号す。 |
| 3 | 良信 | 1173-1253 | ?-1253? | 勝長寿院4世。天台宗山門派。藤原長信の子。忠快の弟子。印鑁の解任後まもなく就任か。1224年(元仁1年)3月には在職していた(円隆寺梵鐘銘)。同年8月8日、勝長寿院別当。1253年(建長5年)5月23日死去。81歳。大蔵卿法印。権僧正。 |
| 4 | 良禅 | ?-1257 | ?-1246? | 本覚院門跡。成恩院別当。九条家出身。九条良平の子。九条兼実の孫。九条道家の猶子。青蓮院良快の弟子。初名は道禅。1219年(承久1年)3~5月頃、就任か。平雅行の研究によると、当時十数歳とみられ、摂家将軍擁立のため特殊な政情が生んだ異例の惣別当2人並立体制だという。幕府が九条家に配慮した結果だという。1224年(元仁1年)3月在職(円隆寺梵鐘銘)。1245年(寛元3年)10月、鎌倉に下向。北条家との確執が高まっていた将軍九条頼経のために祈祷。1246年(寛元4年)7月に九条頼経と共に帰洛しており、遅くともこの時点には惣別当から解任されたとみられる。1257年(正嘉1年)死去。僧正。 |
| 5 | 最信 | 生没年不詳 | ?-1277 | 勝長寿院5世。天台宗山門派。足利家出身。足利義氏の子。良信の弟子。1253年(建長5年)の良信の死去と共に勝長寿院別当と平泉惣別当を継承したとみられる。1277年(建治3年)6月23日、堂塔修理の怠慢を理由に解任(中尊寺衆徒等言上状[2])。宰相法印と号す。 |
| 6 | 盛朝 | 生没年不詳 | 1277-? | 北条家出身。1277年(建治3年)別当(中尊寺衆徒等言上状)。越後助法印と号す。 |
| 7 | 実助 | 生没年不詳 | ?-1312 | 北条家出身。就任年不明。1304年(嘉元2年)在職(棟札銘)。1312年(正和1年)まで別当。法印。讃岐法眼と号す。 |
| 8 | 春助 | 生没年不詳 | 1313-? | 北条家出身。北条朝時の孫。1313年(正和2年)別当。備前助僧都と号す。 |
| 9 | 定助 | 生没年不詳 | 不詳 | 北条家出身。春助の弟子か(中尊寺衆徒等言上状)。 |
| 10 | 朝宗 | 生没年不詳 | 不詳 | 北条家出身。定助の弟子か。定助から惣別当職を譲られたが幕府から安堵されないまま幕府は崩壊した?(中尊寺衆徒等言上状)。 |
| 11 | 朝演 | 生没年不詳 | 不詳 | 北条家出身。1328年(嘉暦3年)在職(経蔵別当相伝系図)。信濃律師と号す。 |
別当代・権別当(室町時代)
院主坊
- 安永風土記[3]より。真言宗だった。江戸時代初期まで中尊寺を代表する立場にあったとみられる。
- 1宥快
- 2実幸()<>:1336年(延元1年/建武3年)在職。
- 3等海
- 4朝海
- 5行恵
- 6良翁
- 7永鑁
- 8実鑁
- 9明海
- 10明翁
- 11長寿
- 12実寿
- 13長意
- 14長光
- 15長実
- 16良雅
- 17実光
- 18善雅
- 19頼長
- 20快意
- 21興意
- 22覚翁
- 23興円
- 24覚宥()<>:天台宗に改宗し、別当代2世となる。
- 25良舜()<>:1680年(延宝8年)9月、藩主伊達綱村により追放される。
別当
1680年(延宝8年)10月7日に仙台仙岳院3世亮栄が兼務して以来、幕末まで仙岳院歴代が中尊寺別当を兼務した。中尊寺には別当代を派遣した。
別当代
- 院代の追放に伴い設置されて明治維新まで続いた。仙台仙岳院が兼務別当は中尊寺に止住せずに寺務に直接関わることはなかったので、しかるべき弟子を別当代として設置し、寺務を代行させた。別当代には中尊寺寺僧や仙岳院の子院の僧侶が就任した。
- 中尊寺史稿[4]
| 世数 | 名 | 生没 | 在職 | 略歴 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 明静坊 | 生没年不詳 | 不詳 | 僧名は不明。 |
| 2 | 覚宥 | 1614-1690 | 不詳 | 院主24世。元は中尊寺院主職にあり真言宗僧侶だったが、延宝年間、天台宗に改宗し、別当代に就任。一心院と号す。1690年(元禄3年)10月21日、毛越寺学頭の隆蔵寺で死去。77歳。 |
| 3 | 栄運 | 生没年不詳 | 不詳 | 了円院。 |
| 4 | 快珍 | 生没年不詳 | ?-1701 | 1701年(元禄14年)隠居。浄心院。 |
| 5 | 亮智 | 生没年不詳 | ~1710~ | 別当亮純の弟子。1710年(宝永7年)在職(白狐宮修造棟札)。正徳院。 |
| 6 | 乗弁 | 生没年不詳 | 不詳 | 金色院5世。仙岳院子院延寿院を兼務。 |
| 7 | 亮厳 | 生没年不詳 | 不詳 | 仙岳院子院宝蔵院を兼務。 |
| 8 | 雄存 | 生没年不詳 | ~1740~ | 1740年(元文5年)在職(棟札銘)。理明院。 |
| 9 | 然栄 | 生没年不詳 | 不詳 | 福聚院。 |
| 10 | 亮賀 | 生没年不詳 | ~1766~ | 金色院7世。1766年(明和3年)在職(棟札銘)。知足院。 |
| 11 | 亮諶 | 生没年不詳 | ~1770~ | 金色院8世。1770年(明和7年)在職(棟札銘)。恵門院。 |
| 12 | 覚天 | 生没年不詳 | ~1776~ | 仙岳院子院延寿院を兼務。1776年(安永5年)在職。 |
| 慧道 | 生没年不詳 | ~1784~ | 安永風土記になし。1784年(天明4年)在職 | |
| 亮専 | 生没年不詳 | ~1785~ | 安永風土記になし。1785年(天明5年)在職。 | |
| 宗保 | 生没年不詳 | ~1805~ | 安永風土記になし。1805年(文化2年)在職。松寿院 | |
| 恵寛 | 生没年不詳 | ~1816~ | 安永風土記になし。1816年(文化13年)在職。常福院。 | |
| 亮観 | 生没年不詳 | ~1849~ | 安永風土記になし。1849年(嘉永2年)在職。 | |
| 光観 | 生没年不詳 | ~1852~ | 安永風土記になし。1852年(嘉永5年)在職。 | |
| 湛常 | ?-1870 | ?-1870 | 安永風土記になし。最後の別当代。1870年(明治3年)11月死去。 |
住職
- 三衣霊源(?-1876)<>:大講義。1871年(明治4年)12月1日、中尊寺住職に晋山[5]。福厳院。妙法院の僧侶?荒沢寺を兼務。出羽三山の修験道の存続に尽力。1876年(明治9年)1月9日死去[6]。墓所は立石寺住職墓地。
- 即真明湛(?-1884)<>:自坊は延暦寺理性院。北白川宮の出身?中講義。仙岳院住職か。明治9年か明治10年から数年間在職。1873年(明治6年)9月25日、望擬講[7]。1884年(明治17年)6月17日死去[8]。大講義。
- 高築亮宥()<>:円通寺住職。中講義。
- 西山亮教()<>:1896年(明治29年)前後在職か
- 荒真了(1882-1955)<>:寛永寺住職。輪王寺門跡。仙岳院住職。(略歴は寛永寺#組織を参照)
- 20塚田亮澄(?-1934)<1913-1934>:自坊は世良田普門寺。1913年中尊寺貫首。1916年、宗議会議長。天台会講師。1934/3/10死去。大般若院。
- 薗実円(-1963)<-1963>:1963年(昭和38年)7月1日死去。以後、今東光の就任まで空席。
- (菅野澄教)()<>:代務者。自坊は真珠院。
- (菅野良澄)
- 25今東光(1898-1977)<1965->:今春聴。小説家。中外日報社社長。水間寺、天台院、密蔵院、明眼院を経て1965年(昭和40年)12月27日、中尊寺貫主。
- 佐々木邦世
- 26多田厚隆(1902-1993)<>:日光出身。大正大学卒。大正大学教授。如帝珠院。
- 27千田孝信(1926-2009)<1993-2006>:自坊は日光観音寺。京都帝国大学卒。西洋哲学を学ぶ。日光高校教諭。散華心院。
- 28山田俊和(1943-)<2006-2020>:自坊は東京最勝寺。東京都出身。1943年生。1966年、大正大学仏教学部天台学科卒。最勝寺住職。宗議会議員。宗務庁参務総務部長。駒込学園常任理事。大正大学監事。日中友好宗教者懇話会理事長。天台宗海外伝道事業団理事長。2006年10月、中尊寺貫首就任。2011年、祖師先徳讃仰大法会事務局顧問。2020年4月末、中尊寺貫首を退任。
- 29奥山元照(1959-)<2020->:自坊は埼玉西福寺。埼玉県出身。1959年生。1982年、大正大学仏教学部天台学科卒。同年から4年間、海外布教使としてハワイ別院に赴任。2010年西福寺住職。2020/7/3中尊寺貫首就任(2カ月の空白期間があった)。天台宗海外伝道事業団常任理事。
執事長
- 佐々木実高()<>:
- 菅原光中()<>:1995
- 佐々木邦世()<>:自坊は中尊寺円乗院。
- 佐々木仁秀()<-2010>:自坊は中尊寺積善院。2010年辞職。
- 菅野澄順()<2010->:自坊は中尊寺真珠院。在任中、東日本大震災が発生。2005年、天台寺住職。
- 清水広元(-2019)<2013-2017>:
- 菅原光聴()<2017->: