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吉田地方神田官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月18日 (日)

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奇兵隊顕彰墓地・吉田地方神田官修墳墓-01.jpg

吉田地方神田官修墳墓は山口県下関市吉田地方の川久保神田にあった官修墳墓。今井満太郎の墓。曹洞宗東行庵奇兵隊顕彰墓地に改葬された。顕彰墓地内で東隣に旧吉田地方大判官修墳墓がある。

今井満太郎は1866年(慶応2年)、四境戦争(第二次長州征討)で、吉田領主の山内家の家臣でつくる正名団に参加。14歳だったが15歳以上でないと兵士になれなかったため、年齢を偽って志願したという。小倉口の戦いに参戦。7月3日、豊前国大里で負傷し、戸板に乗せられて長府松小田に運ばれたが息絶えていた。故郷の川久保神田墓地に埋葬された。1866年(慶応2年)山口藩が創設とされるのは玉垣などの整備のことだろうか。1971年(昭和46年)8月、発掘され、東行庵の奇兵隊顕彰墓地に改葬された。桜山招魂社にも神霊碑がある(祭神264番)。靖国神社にも合祀されている。

墓碑は正面に「今井満太郎源忠備之墓」、向かって右側面に没日、反対に死因と享年を刻み、石の玉垣で囲われている。

(近藤清石1904『山口県風土誌』[1]、一坂太郎1996『奇兵隊および諸隊士顕彰墓地』東行庵刊)

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