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安位寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年9月14日 (日)
安位寺(あんいじ)は、奈良県御所市櫛羅寺屋敷(大和国葛上郡)の、葛城山系の大和葛城山中腹にあった山岳寺院。廃絶。古代の軒平瓦1点が採取されている。中世には大規模な伽藍坊舎を擁し、戒那千坊、戒那千軒と呼ばれた。今も石垣、礎石建物跡、平場が広範囲に残る。大乗院門跡の経覚(1395-1473、安位寺殿)が一時期拠点としたことで知られ、興福寺六方末寺の戌亥方分の筆頭とされた。西大寺中興叡尊も訪れた。興福寺関連旧跡。戒那寺。戒那山寺。堺那寺。山号は戒那山。
大和葛城山(標高960m)における中心的な寺院だったとみられる。大和葛城山は大正時代頃までは安位寺の山号から戒那山と呼ばれていた。寺跡の周辺には櫛羅の滝、行者の滝が残る。山頂の葛城天神社、麓の地光寺や葛木坐火雷神社との関連性が指摘される。近辺に戒那千坊の後身と伝える寺院が点在する。 修験道寺院としての安位寺の姿ははっきりしないが、役行者の修行の地とされ、『諸山縁起』では『法華経』薬王品第二十三に当てられる。
目次 |
本尊
一定をみない。 『七大寺巡礼記』(室町時代前期か)では十一面観音とし、『諸山縁起』(鎌倉時代)では「本仏は薬師」「行者授法の本尊曼陀羅三尊を安置す」とあり、「不動寺縁起」(1866年)では空海作の不動明王とされる。
歴史
- 奈良時代:『七大寺巡礼記』によると、役行者の修行の地とされ、孝謙天皇が退位して出家するときに建て、のち称徳天皇として再び即位したため「安位寺」と呼ばれたという。
- 大同年間:空海が堂を建てて安位寺と称したという(不動寺縁起)。
- 1104年(長治元年)6月:この年の『大仏頂陀羅尼儀軌』(高野山宝寿院蔵)に「安位寺僧慶尋」の名があり、この時点までには確実に成立していた。
- 1157年(保元2年):尭俊という僧が大般若経(笛吹神社(葛木坐火雷神社)旧蔵)を安位寺で書写
- 1250年(建長2年):「九条道家初度惣処分状」[1]という文書に東福寺の末寺の一つとして「大和国安位寺」とある。
- 1263年(弘長3年)9月:狛朝葛が舞楽書『掌中要録』を安位寺花蔵院で書写[2][3]
- 1283年(弘安6年)3月24日:叡尊が26日まで滞在して302人に菩薩戒を授け、寺領内の殺生禁断などを記した起請文を捧げる。感身学正記
- 1301年(正安3年)4月8日:この日の銘がある町石が御所市大橋通りの浄土宗正栄寺横にある。1304年(嘉元2年)5月20日銘の町石も流不動堂横にある。吉祥草寺から結ぶルートか。
- 1339年(延元4年/暦応2年):常楽寺本の大般若経(奈良時代の古写経を含む。現在伊賀常楽寺にある)が和泉国桑原仏性寺から安位寺安養院に移る[4]。
- 1342年(興国3年/康永元年)1月:伊賀宝珠院蔵の版本法華経に「興国三年壬午正月日安位寺阿弥陀院之」とある。
- 1445年(文安2年)9月13日:前大乗院門跡の経覚が筒井順永に敗れて安位寺に滞在。このため経覚は「安位寺殿」と呼ばれた。『大乗院日記目録』
- 1469年(文明元年)7月9日:『大乗院寺社雑事記』に興福寺六方末寺の戌亥方分の筆頭として記されている。
- 1486年(文明18年)9月9日:大門焼失。『大乗院寺社雑事記』
- 1492年(明応元年)7月25日:湯屋破損。『大乗院寺社雑事記』
- 1493年(明応2年)2月25日:『尋尊大僧正記』に「安位寺山伏」とある。
- 1503年(文亀3年)1月10日:焼失。『大乗院寺社雑事記』
- 1506年(永正3年)3月15日:先年からの学侶と堂衆の対立により「安位寺炎上了」という(『多聞院日記』)。これ以降、衰退し、やがて廃絶したとみられる。
- 1527年(大永7年)6月28日:同日銘のある不動明王石仏が不動寺に残り、「安位寺滝本沙門行盛」とある[5]。
- 永禄年間:戒那千坊の一つだった大和・九品寺が弘誓により浄土宗に改宗。
- 1698年(元禄11年):『葛城名区考』に「葛城三十八景」の一つとして「安位飛泉」が挙げられ、「往昔安住(位)寺跡」と記す。この時点で廃絶していたことが分かる。
- 1729年(享保14年):宝山寺僧の亮観(湛海の弟子か[6])が不動寺を復興[7]。
- 1865年(慶応元年)6月:曹洞宗の宇治興聖寺33世の白堂雪厳が不動寺を復興[8]。
- 1914年(大正3年)10月:古代の軒平瓦(京都国立博物館蔵)を採取(「戒那山大正三年十月」と墨書)。葡萄唐草文。地光寺跡出土の軒平瓦(7世紀末〜8世紀初頭か)と類似。
子院
多くの大規模寺院と同様に学侶と堂衆に分かれていた。
- 浄土院:奈良県御所市櫛羅の浄土寺が後身を称し、1598年再建と伝える。
- 塔南院
- 文殊院
- 蓮台院
- 清浄院
- 安養院:奈良県御所市櫛羅に「安養寺」の小字が残る。三重県伊賀市種生の常楽寺(真言宗豊山派)に「大和国葛上郡倶尸羅郷安養寺御経也」の奥書がある大般若経が伝わり、元は和泉国桑原仏性寺(和泉市桑原町。跡地不詳)にあったもので奈良時代の写本も含む貴重な古写経として知られる。
- 無量寿院
- 法輪院
- 花蔵院:1263年9月に狛朝葛が舞楽書『掌中要録』を安位寺花蔵院で書写
- 中院
- 地蔵院
- 来迎院
- 宝亀院:1503年、菱木伊豆守らが籠る[9]。
- 阿弥陀院:1342年伊賀宝珠院蔵の版本法華経に「興国三年壬午正月日安位寺阿弥陀院之」とある。
- 明王院:十市遠忠の遺書が明王院に納められ、前田家尊経閣に現存[10]
- 九品寺:奈良県御所市楢原。現存。浄土宗。戒那千坊の一つだったという。山号は戒那山。
- 不動寺:奈良県御所市櫛羅山開。空海が開く。享保年間、宝山寺僧の亮観が復興。のち廃絶。1865年6月に白堂雪厳が復興し、曹洞宗となり、宇治興聖寺末となる。
- 最上坊:[11]
- 十住寺:同上
資料
- 『七大寺巡礼記』:『菅家本諸寺縁起集』とも。
全文は『校刊美術史料』寺院篇上[12](館内限定)に所収。『続々群書類従』宗教部、『大日本仏教全書』は前半部のみ収録。
- 『奈良県南葛城郡誌』「安住寺」[16]