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永興本宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年11月16日 (日)
永興本宮は北朝鮮咸鏡南道金野郡小黒石里にあった李朝王室の霊廟。咸鏡南道永興郡順寧面亭子里。桓祖李子春(1315-1361)の旧邸跡であり、太祖李成桂(1335-1405)が即位前に星を祭祀した場所とされる。太白壇が付属した。近くには濬源殿もあった。朝鮮戦争で焼失。廃絶。咸興本宮も参照。
霊位
- 桓祖李子春(1315-1361):1795年2月合祀。
- 桓祖妃懿恵王后(生没年不詳):崔氏。1795年2月合祀。
- 太祖李成桂(1335-1405):
- 太祖妃神懿王后(1337-1391):第一夫人。清州韓氏。
- 太祖妃神徳王后(1356-1396):第二夫人。康氏。1675年に合祀の議論が起こったが、実現したのは1695年12月。
歴史
発祥は不詳。太祖と太祖妃神懿王后の祭祀をいつから始めたのかは不明。当初は公式な国家祭祀の対象には入っていなかった。祭祀を担当する礼曹ではなく、内需司の管轄だった。王室から土地と奴隷を与えられて管理し、儒教祭祀にはない独自の祭祀をシャーマンが行っていた。1666年、咸鏡道観察使(行政長官)の閔鼎重の提案で再建し、「本宮」と呼ばれるようになる。1675年、太祖妃神徳王后を咸興本宮と永興本宮に合祀が発案されたが、独自の祭式が批判の対象となった。奴隷やシャーマンが関わっていることが先王への冒涜だとして廃止論まで出たが、先王の偉業とみなされ、存続した。1679年、位牌を紙榜(紙の位牌)から木製の位牌に改正。1695年12月、太祖六周甲(生誕360年)にあたり、太祖妃神徳王后を合祀。1700年、移安堂を建立。1791年10月、徐栄輔を派遣して儀式・祭器を整備させ、国家祭祀に正式に加わり、1793年に『永興本宮定例』にまとめた。1795年、桓祖李子春の八回甲(生誕480年)にあたり、陵墓に使者を派遣し祭祀を行ったのをきっかけに、2月、永興本宮に桓祖李子春と桓祖妃懿恵王后を合祀。同年4月、合祀を反映させた『永興本宮儀式』を編纂した。朝鮮戦争で焼失。
(ナムウィキ[1]、韓国民族文化大百科事典[2][3][4]、朝鮮王朝実録辞典[5]、ウィキソース[6]、朝鮮総督府博物館ガラス乾板[7]