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「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

エリドゥのエンキ神殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年9月10日 (土)

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エリドゥのエンキ神殿は、現イラク領のメソポタミアの都市エリドゥ(テル・アブ・シャハライン)にあった、古代メソポタミアの水神エンキ(エア)を祀る神殿。エエングラ神殿エアブズ神殿ともいう。17層(または18層)の地層が確認されている。廃絶してその上にはエリドゥのジッグラトが建てられた。


調査

英国バスラ副領事であったJ・E・タイラーが1855年、最初に現在地をエリドゥの跡と考えた。イラク古物局が1946年から49年にかけて本格的な発掘。巨大ジッグラトの跡と、その下にある17層の遺構が判明した。

歴史

17層から15層は、前ウバイド時代(紀元前5500年以前)に当たる。最下層の17層の遺構は3m四方で、中央に供物台がある単純な構造の建物。壁が南北軸から30度ほど傾いて立てられているが、後の遺構の傾きも同程度であることから神殿の継承性が伺える。14層から12層には建物跡は見つかっていない。

11層~8層のウバイド前期(前5500年-前4500年)に入ると規模が拡大。基壇の上に立てられるようになり、中心となる至聖所を中心に複数の室を備える、シュメール神殿建築の定形構造となる。11層の至聖所は10.5m×4.0m。8層になると三列構成の平面となり、20m×11mの規模を持つと推定される。祭壇の背後にあった亀形土器から多数の魚の骨が見つかり、水神信仰を示唆する。7層~6層はウバイド後期(前4500-前4000年)に当たるという。7層~1層のウルク期(前4000年-前3100年)はあまり調査されていない。


参考文献

  • 川村喜一、1963「シュメール早期の社会 神殿を中心に」『オリエント』6-4
  • 大英博物館の2008年調査レポート[1]
  • マサチューセッツ芸術大学『エリドゥ神殿復元』[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%89%E3%82%A5%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AD%E7%A5%9E%E6%AE%BF」より作成

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