ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

エリドゥのエンキ神殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年9月10日 (土)

移動: 案内, 検索

エリドゥのエンキ神殿は、現イラク領のメソポタミアの都市エリドゥ(テル・アブ・シャハライン)にあった、古代メソポタミアの水神エンキ(エア)を祀る神殿。エエングラ神殿エアブズ神殿ともいう。17層(または18層)の地層が確認されている。廃絶してその上にはエリドゥのジッグラトが建てられた。


調査

英国バスラ副領事であったJ・E・タイラーが1855年、最初に現在地をエリドゥの跡と考えた。イラク古物局が1946年から49年にかけて本格的な発掘。巨大ジッグラトの跡と、その下にある17層の遺構が判明した。

歴史

17層から15層は、前ウバイド時代(紀元前5500年以前)に当たる。最下層の17層の遺構は3m四方で、中央に供物台がある単純な構造の建物。壁が南北軸から30度ほど傾いて立てられているが、後の遺構の傾きも同程度であることから神殿の継承性が伺える。14層から12層には建物跡は見つかっていない。

11層~8層のウバイド前期(前5500年-前4500年)に入ると規模が拡大。基壇の上に立てられるようになり、中心となる至聖所を中心に複数の室を備える、シュメール神殿建築の定形構造となる。11層の至聖所は10.5m×4.0m。8層になると三列構成の平面となり、20m×11mの規模を持つと推定される。祭壇の背後にあった亀形土器から多数の魚の骨が見つかり、水神信仰を示唆する。7層~6層はウバイド後期(前4500-前4000年)に当たるという。7層~1層のウルク期(前4000年-前3100年)はあまり調査されていない。


参考文献

  • 川村喜一、1963「シュメール早期の社会 神殿を中心に」『オリエント』6-4
  • 大英博物館の2008年調査レポート[1]
  • マサチューセッツ芸術大学『エリドゥ神殿復元』[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%89%E3%82%A5%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AD%E7%A5%9E%E6%AE%BF」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール