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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

九鬼岩倉神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月28日 (日)

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九鬼岩倉神社は三重県鳥羽市岩倉町にある御霊信仰の神社。祭神は九鬼澄隆、伊邪奈美命誉田別命素盞鳴尊領主奉斎神社

歴史

1583年(天正11年)11月23日、九鬼澄隆は叔父の九鬼嘉隆に暗殺された。嘉隆の子の九鬼守隆は病となり、周囲にも夭折や病気が続いた。 年代ははっきりしないが、田城城跡に澄隆の霊が祀られた。1626年(寛永3年)、守隆は社領を寄進。1633年(寛永10年)に九鬼家は鳥羽藩から三田藩に転封となるが、神社はそのまま残され、九鬼家から毎年代参があった。1703年(元禄16年)「正一位総領権現」(正一位惣領権現)と称した。(日本歴史地名大系)

のち九鬼神社と称し、1907年(明治40年)、加茂神社、萩原神社、八幡神社を合祀。加茂八幡九鬼神社と称した。 1910年(明治43年)、一転して神社合祀政策により松尾地区の蕨岡神社に周辺の氏神が合併されることになり、九鬼神社以外の3社は蕨岡神社に遷座合祀され、九鬼神社に戻った。蕨岡神社は加茂神社と改称した。1955年(昭和30年)、氏神の復興のためと思われるが、松尾の加茂神社から3社の祭神が遷され、九鬼神社に合祀し、九鬼岩倉神社と改称した。(三重県神社庁教化委員会ウェブサイト)

なお転封先の三田にも総領神社が建てられており、分社の可能性がある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E5%B2%A9%E5%80%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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