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亜庭神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月1日 (日)
亜庭神社(あにわ・じんじゃ)は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町大泊本町西一条南にあった神社。祭神は大国主命・事代主命・市杵島姫命・御食津神・誉田別尊。県社。北海道・樺太の神社。廃絶。
歴史
大泊は本土から渡った時の樺太の玄関口だった。日露戦争後に日本領となった。大泊支庁長池上安政が有志とはかって神社創建を企画。1913年(大正2年)11月、樺太庁長官らが参列して地鎮祭を執行。北海道や樺太の神社建築を多く手掛けた伊藤組土建が建設した。1914年(大正3年)8月14日、樺太庁の神社創立認可を受け、同日鎮座した。1930年(昭和5年)7月5日、県社列格(『神道史大辞典』には不掲載。『北海道神社庁誌』『樺太の神社』に記載あり)。例祭には海上渡御が行われた。
1931年(昭和6年)7月20日、伊勢神宮式年遷宮の撤下御神宝5点が寄進された。 1935年(昭和10年)8月、樺太施政30周年の式典の花火で落ち、被災。 1942年(昭和17年)9月、社殿造営のための御造営奉賛会を設立。国粋美術研究所所長の二本松孝蔵が設計に関わったらしい。新社殿造営はほぼ済んでいたようだが、遷座祭は行われず敗戦を迎えたようだ。 1945年(昭和20年)8月、支庁管内の神社を亜庭神社に奉遷(『樺太の神社』)。ソ連占領下、引揚まで祭祀が継続され、1946年(昭和21年)12月20日に焼納(『樺太の神社』)。社司山田信義は神宝の鏡(伊勢神宮撤下品。御霊代ではない)を引揚と共に持ち帰り、和寒神社に伝わっている(同)。
境内社として相馬神社があった。