ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

京都・世尊寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月19日 (火)

移動: 案内, 検索

世尊寺(せそんじ)は、平安京の一条の北にあった寺院。現在の上京区笹屋町通桝屋町、あるいは栄町に当たる。本尊は大日如来と思われる。西に尊重寺、東に実相寺妙覚寺があった。(参考:同名寺院世尊寺

歴史

この地には元来、天皇の食事に使う野菜や果実を栽培する菜園の京北園があった。その後も桃の木などが残ったことから桃園と呼ばれ、桃園邸(桃園第、桃園宮)として皇族や貴族が住んだ。安和元年(968)には花山天皇が桃園邸で生まれた(『帝王編年記』には世尊寺で生まれたとあるが創建前のことなので桃園邸を指すとみられる)。生母の藤原懐子(冷泉天皇女御)の父の藤原伊尹が桃園邸の主。そして伊尹の孫で懐子の甥にあたる藤原行成に桃園邸が継承された。

藤原行成が長保3年(1001)、寺院として寄進し、世尊寺を創建した。金色大日如来・普賢菩薩十一面観音・彩色不動尊降三世明王を祀った。落慶法要には天台座主覚慶を始め、100人の僧侶が出仕したという。寛弘3年(1006)には阿弥陀如来を祀った。要人の参詣もあり、藤原道長は寛弘元年(1004)、寛仁2年(1018)など数回訪れている。保元2年(1157)に後白河上皇が行幸したとあるが(園太暦)、その後の記録には世尊寺のことは現れない。行成の子孫は世尊寺家を名乗り、その書風は世尊寺流と呼ばれる。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E4%B8%96%E5%B0%8A%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール