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今帰仁グスク

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年1月3日 (金)

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今帰仁グスクは沖縄県国頭郡今帰仁村今泊にあるグスク今帰仁上り旧跡県社北山神社を建設する計画があったが未完に終わった。鳥居の残骸が残されている。

目次

歴史

  • 13世紀末:発掘調査で主郭から13世紀末の中国製陶磁器やグスク時代の土器が出土。
  • 1322年:怕尼芝が山北王に即位したと伝わる。
  • 1383年12月:山北王が明に朝貢(明実録)。
  • 1395年:ビン王が在職。明に朝貢
  • 1396年:攀安知王が在職。明に朝貢
  • 1416年:中山王の尚思紹が世子の尚巴志を派遣して攀安知王を滅ぼし、北山王統は滅亡。1422年とも。国頭按司、名護按司、羽地按司は中山王に与したという。
  • 1422年:第一尚氏の尚巴志、山北監守として第二王子の尚忠を派遣。第一監守時代。
  • 1429年:尚巴志が南山王を滅ぼし、琉球を統一。
  • 1440年:監守尚忠が尚巴志の跡を継いで国王に即位。
  • 1469年:第一尚氏滅亡。
  • 1526年以前:第二尚氏の尚真王、今帰仁城監守(今帰仁王子、今帰仁按司、今帰仁総地頭職)として第三王子の尚韶威を派遣。他の地域の按司は首里居住を命じられた中で今帰仁のみは特別扱いだった。尚韶威は今帰仁御殿(のち具志川御殿)の家祖となる。第二監守時代。
  • 1609年:薩摩侵攻で焼き討ちにあったとされる。ただし発掘調査では焼けた痕跡は見つかっていない。城のすぐそばにあった今帰仁村と志慶真村は麓に移転。監守も移住。
  • 1665年:監守7世の向従憲、今帰仁城から首里に移住。以後は監守は首里に住む。この跡に火神の祠が建てられたという。
  • 1666年:今帰仁間切を分割して伊野波間切(本部間切)を創設。
  • 1761年:大北墓が拝領墓として認められる。
  • 1749年:監守10世の向宣謨が「山北今帰仁城監守来歴碑記」碑を建立。
  • 1869年:尚泰王の弟の尚弼が今帰仁王子に就任。従来の領主家は具志川に転封され具志川御殿と改称した。
  • 1872年:琉球藩設置。
  • 1879年:沖縄県設置。
  • 1915年:今泊村と具志川御殿が資金を出して、火神祠以外の城跡敷地を購入し、今泊村が管理するようになる。火神祠とその敷地は今帰仁御殿の所有だったようだ。
  • 1924年:参詣道竣工。
  • 1929年:「山北今帰仁城址碑」建立(現在の歌碑のあたり。1960年頃、平郎門の前に移設)。
  • 1930年12月:城跡の入り口に鳥居を建立。大阪今泊共済会岡山支部の寄進。
  • 1943年:沖縄県、今帰仁城跡に県社北山神社建設を決定。今帰仁御殿は火神祠とその敷地を、今泊村と具志川御殿は所有する城跡敷地全部を北山神社に寄進。
  • 1945年:敗戦。北山神社建設は中止となる。
  • 1955年1月25日:琉球政府により名勝に指定。
  • 1959年:志慶真乙樽歌碑を建立。
  • 1962年6月7日:琉球政府、有形文化財に指定。
  • 1965年:城跡の平郎門と大隅の城壁を修復
  • 1972年:沖縄復帰。5月15日、国史跡。
  • 1986年:発掘調査
  • 1995年:今帰仁村歴史文化センター、開館
  • 2000年12月2日:世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録。
  • 2003年:撤去した鳥居の柱を移設保存

一覧

  • 神ハサギ跡:大庭(うーみやー)にある。現在も祭祀が行われている。
  • カラウカー:大庭にある。窪んだ岩石に水をたたえている。女官が髪を洗ったり、水量で吉凶を占ったりしていたという。
  • ソイツギの御嶽:大庭にある。神ハサギ跡の西側、御内原につながる手前にある。城ウイミの時に祭祀を行う場所のひとつ。「城内下の御嶽」。
  • 火の神:主郭にある。第二監守一族の火の神という。祠が設置されたのは監守が引き上げ後だという。発掘調査後に現在地に移設されている。石燈籠4基がある。城ウイミの祭祀が行われている。傍らに「山北今帰仁城監守来歴碑記」碑がたつ。
  • テンヂチの御嶽:男子禁制の御内原(うーちばる)にある。今帰仁城のイビに当たる。今帰仁城で最も神聖な場所とされる。「城内上の御嶽」、「テンチジアマチジ」、「今帰仁のカナヒヤブ」とも呼ばれる。
  • レコーラウーニ:外郭にある。船を象った土盛りが二つあり、今帰仁ウーニと本部ウーニと呼ばれている。7月のウプウイミ(海神祭)の2日目に祭祀を行い、航海安全を祈る。
  • 古宇利殿内火神:外郭にある。東北の方向を拝む。古宇利島と関連しているという。ウマチー祭祀の時に拝む。古宇利は「こうり」とも「ふい」とも読む。

周辺

  • 今帰仁クボー御嶽:今帰仁城の西にある丘陵。琉球開闢九御嶽の一つ。城の入り口に遥拝所がある。
  • 今帰仁ノロ殿内火神:祠に香炉が安置されている。
  • 阿応理屋恵ノロ殿内火神:オーレ御殿火神とも呼ばれる。土壁にコンクリート瓦が吹かれている。香炉と石が安置されている。
  • 供のかねノロ殿内火神:旧道沿いにある。かつては茅葺きの建物があった。「供ノハーニーノロ殿内」とも。
  • ミームングスク:高さ1.5mの石積が方形状につまれている。今帰仁城の出城とも言われる。
  • シニグンニ:6m四方の石積遺構がある。今帰仁城の出城とも言われる。ヤマグワーとも呼ばれる。
  • チンマーサ:三つの積み石がある。
  • 親川

今泊集落

  • スクーミチ
  • 獅子屋
  • ハサギングワー
  • サーラモー
  • コバテイシ
  • フプハサギー
  • カンジャーガマ
  • 津屋口墓:集落の東にある。監守3代目の向和賢が葬られているとされる。1678年修復の時に建立された「墳墓記」碑がある。アカン墓とも。
  • 志慶真乙樽墓:志慶真乙樽は城主に仕えた絶世の美女という。
  • 旧御殿屋敷跡
  • 今帰仁ノロ殿内:今帰仁ノロは今帰仁村・志慶真村・親泊村の3村の祭祀を司るノロ。仲尾次家に宝物が伝わる。もとは火神の場所にあったとみられる。
  • 阿応理屋恵ノロ殿内:阿応理屋恵ノロは国頭地方の最高位のノロ。もとは火神の場所にあったとみられる。コンクリート造の祠。オーレ御殿ともいう。ハーラヤーグワー。
  • ナガナートゥ

その他

  • 大北墓:今帰仁城の監守の歴代と一族が葬られている。百按司墓のそばにある。
  • 古宇利グスク:古宇利島の西岸にある。今帰仁城と競い合って築かれたという伝承がある。
  • ティラガマ:源為朝が隠れ住んだと伝える。

領主

具志川御殿

当初は今帰仁御殿と名乗ったが、明治に具志川に転封し、具志川御殿と改称。

  • 1尚韶威(生没年不詳):今帰仁朝典。墓所は玉陵。
  • 2向介紹(生没年不詳):今帰仁朝殊。墓所は大北墓。
  • 3向和賢(1557-1591):今帰仁朝敦。墓所は津屋口墓。
  • 4向克順(1580-1596):今帰仁朝效。墓所は大北墓。
  • 5向克祉(1582-1609):今帰仁朝容。薩摩侵攻で戦死。墓所は大北墓。
  • 6向縄祖(1601-1658):今帰仁朝経。麓に移住か。墓所は大北墓。
  • 7向従憲(1627-1687):今帰仁朝幸。居所を今帰仁から首里に移す。墓所は大北墓。
  • 8向洪徳(1652-1691):今帰仁朝又。墓所は末吉(末吉陵の近くとみられるが現存不詳)。
  • 9向鳳彩(1674-1724):今帰仁朝季。
  • 10向宣謨(1702-1787):今帰仁朝義。「山北今帰仁城監守来歴碑記」碑を建立。
  • 11向弘猷(1756-1809):今帰仁朝賞。
  • 12向鴻基(1775-?):今帰仁朝英。運天港でバジル・ホールと会見。向邦輝。
  • 13向維藩():運天朝富。
  • 14向世忠():具志川朝勅。1869年、今帰仁から具志川に転封。

今帰仁御殿

  • 1今帰仁朝敷():男爵。尚育王の第三王子。尚弼。
  • 2今帰仁朝和():
  • 3今帰仁朝英():
  • 4今帰仁朝秀():

画像

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