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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

備前・霊山寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月24日 (日)

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霊山寺は、岡山県赤磐市の熊山にあった古代寺院。奈良時代に築かれた11m四方の3層ピラミッド状の石積み遺構の熊山遺跡で知られる。備前国和気郡。熊山神社別当。戒光院と号す。霊山院霊仙寺ともいう。山号は帝釈山。(参考:同名寺院霊山寺

歴史

天平年間、来日した鑑真平城京に向かう途中に熊山に霊気を感じ、霊山寺を創建。その後、地蔵菩薩が祀られた。南北朝時代には児島高徳が熊山城で挙兵している。応仁2年に奉納された梵鐘が総社市の宝福寺に現存。江戸時代には天台宗となっており、熊山権現宮、観音堂、帝釈堂、宝篋印塔があった。熊野信仰熊野三山と関係もあるか。熊山遺跡も鑑真が開いたという伝承があり、江戸時代には戒壇跡と思われていたが現在は否定されている。特殊な仏塔の一種とみられるが詳細は不明。同様の遺構が山中に約30基見つかっている。平城京の頭塔や和泉国の土塔との関連も指摘されている。霊山寺は明治の神仏分離で廃絶。熊山神社と宝篋印塔が現存。

近くに福生寺があり、鑑真創建とも伝える。 (国史大辞典、日本歴史地名大系ほか)

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