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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

児野護摩堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年1月25日 (金)

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児野護摩堂
ちごの ごまどう
概要 児野にあった護摩堂。廃絶。
奉斎
所在地 長野県木曽郡木曽町福島児野
所在地(旧国郡) 信濃国筑摩郡
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目次

概要

義具(児野嘉左衛門)が、覚明講と普寛講の融和および、幕府による弾圧回避のため、1848年(嘉永1年)に黒沢と王滝の各登山道に建立したのが起源。義具は、尾張藩に働きかけ、護摩堂を寛永寺直支配として、代官山村家の保護を受けた。さらに自証院を御嶽山法務別当として迎え、1848年(嘉永1年)より登拝するようになった。1852年(嘉永5年)、二箇所の護摩堂を廃止統合することとなり、黒沢・王滝の分岐点である児野に移転した。山村代官の護摩方役所が設置された。空明が堂守となった。1862年(文久2年)に再建したという(『御嶽の歴史』184)。明治維新後に廃絶となった。空明は、廃絶後、児野沢橋付近に小堂を建立し、護摩堂の祭祀を継承した。

(『三岳村誌 上巻』831-832、『御嶽の歴史』年表313)

画像


参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%85%90%E9%87%8E%E8%AD%B7%E6%91%A9%E5%A0%82」より作成

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