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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

天照山神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年11月16日 (金)

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天照山神社の鳥居

天照山神社(てんしょうざん・じんじゃ)は、神奈川県足柄下郡湯河原町にある神道大成教の神社。神道大成教天善教会設立者の飯田源五郎が1932年(昭和7年)に創建。戦後、天善教会から大成教に移管された。祭神は「天照皇大神、猿田彦大神、大成大神、天善大神」(境内立札)。「神道大成教奥宮」とされる。また白雲の滝のそばに「奥殿」(「滝奥殿」とも)がある。

歴史

飯田源五郎は1930年(昭和5年)11月、子で後継者の飯田金吾(のち大成教管長)に、百日布教と社殿建設地探索を命じる。金吾は湯河原町の山中に大きな滝を見つけ、その近くに社殿建設の適地を発見。天善教会は翌年3月、社寺係(県?)出席の下で湯河原町と交渉し、土地貸与を受ける。町長杉本清三郎が滝を「白雲の滝」と命名。飯田源五郎が一帯を天昭山(てんしょうざん)と名付けた。

1931年(昭和6年)5月24日、白雲の滝の脇に奥殿を鎮座。翌年同日、社殿を創建した。1932年(昭和7年)6月21日、「宗教設立認証」とあるが不詳。1946年(昭和21年)5月、天昭山を「天照山」と改称し「天照山神社」と称す。同時に天善教会を天照山神社分祠と改称(神道大成教の本部となっている東京都渋谷区神宮前の天照山神社分祠と思われる。)。1955年(昭和30年)、神道大成教と協議し、「神社に神道大成教祭神を奉斎し、神社維持共同にて負担することを契約」、1963年(昭和38年)10月7日、「神社を神道大成教奥殿として権利を譲渡。共同にて維持運営することを登記す」。1979年(昭和54年)12月1日、神道大成教奥宮と改称。1958年(昭和33年)3月増築。

神奈川県宗教法人名簿(平成29年5月8日現在)に該当する法人名がないことから、神道大成教の本部施設として扱われているのだろう。

大成大神とは「天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照皇大神、伊邪那岐神、建速素盞男神、大国主神」(大成教教規要項)。天善大神は天善教会の祭神と思われる。例祭は5月22日。


参考文献

  • 「天照山神社発症由緒沿革」(鎌田東二『平山省斎と明治の神道』)
  • 「天照山神社略歴」(同)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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