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密教神道
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年6月19日 (日)
密教神道。本サイトでの造語。密教僧が主な担い手となった神道説。神道家による神道説や密教以外の神仏習合の神道説と区別するためのカテゴリとして仮定した。カテゴリは便宜的な大雑把なものである。
目次 |
流派
密教と特定の流派と完全に一体的に伝授されてきた例もあり、密教流派と区別した密教神道の流派と判断するのは難しい場合もある。
真言神道
- 両部神道:狭義の両部神道。前期は鎌倉時代初期に伊勢周辺で提唱。後期は鎌倉時代末期に伊勢神宮周辺で神道書が編纂された。伊勢神道の成立と重なる。室町時代以降は停滞。
- 三輪流神道:慶円を祖に位置付ける。「三輪流」は真言密教の一流派だったが、15世紀前半に真言神道の流派に変化した。17世紀には平等寺や大御輪寺で、18世紀には長谷寺で展開した。17世紀前半には矢田寺や持聖院でも行われていた。
- (西大寺流神道):
- 大師流:御流神道の前身の一つとみられるが内容ははっきりしないを
- 御流神道:様々な教説が御流神道と呼ばれ、まとまった伝承集団はなかった。
- 三宝院御流:平安時代末期の勝賢から守覚への伝授に発する。
- 室生山流:円海、秀範が活躍。伊勢神宮を巡る教説が中心だが、伊勢神宮周辺で唱えられた神道説とは相違する。血脈の冒頭を天照大神(釈迦如来や大日如来と一体)とするのは他流にない特徴という。「室生山流」の呼称はまだ定説化はしていないようだ。
- 御流唯一神道:近世の高野山で日光院英仙が整理した。高野山の神道説の主流となり、各地に広まった。
- 玉水流:南山城の西福寺の活済を流祖とする。活済と文済から神道灌頂を受けた智積院23世鑁啓が整備し、智積院を通じて各地に広まった。
- 雲伝神道:江戸時代に慈雲が創始した。慈雲は大御輪寺で神道灌頂を受けているので、三輪流神道を踏まえているか。現代まで伝えられている。
天台神道
- 山王神道:日吉山王権現にまつわる神道説。平安時代末期に萌芽があり、鎌倉時代末期から室町時代前期にかけて興隆した。特に大きな影響を与えたのが『山家要略記』で編纂者は義源と推定されている。義源の説は光宗、慈顗に相承された。慈遍も独自の神道説を唱えたが後世の影響は少ない。
- 山王一実神道:天海が徳川家康を神格化する根拠として創始した。中世の山王神道とは区別される。
- 修験一実霊宗神道:乗因が提唱したが弾圧され存続はしなかったか。
神道灌頂
神祇灌頂とも。密教の伝授法式である灌頂を模倣した、神道説の秘伝と伝書を伝授する儀式作法。各流派であるが特殊なものとして下記がある。近世には庶民むけの結縁灌頂も行われた。
- 即位灌頂:両部神道。
- 日本紀灌頂:両部神道。日本書紀の秘説を伝授。
- 麗気灌頂:両部神道。麗気記の秘説を伝授。
- 伊勢灌頂:両部神道。「諸社大事」ともいう。伝授というより、神社参拝における特殊な作法
- 父母代灌頂:御流神道。僧俗男女問わず受けることができた。
- 和歌灌頂:両部神道
- 和光同塵利益灌頂:天台神道
- 仏神一体灌頂:天台神道
- 互為灌頂:三輪流神道
文献
- 2022『中世神道入門』